大土地神楽とは? わかりやすく解説

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大土地神楽

名称: 大土地神楽
ふりがな おおどちかぐら
種別1: 民俗芸能
保護団体名: 大土地神楽保存会神楽
指定年月日 2005.02.21(平成17.02.21)
都道府県(列記): 島根県
市区町村(列記): 簸川郡大社町杵築西
代表都道府県 島根県
備考
解説文:  大土地神楽は、「茣蓙舞【ござまい】」や「八乙女やおとめ】」などの儀式的な舞と「猿田彦さるたひこ】」や「八戸【やと】」など演劇的な舞を、江戸時代中期から地域人びと演じてきたもので、宗教者による神楽では成人演じる役を、ここでは子どもたち担当し、その共演者成人が子どもを導くように演じるなどの特色がある。
 大社町たいしゃまち】は島根半島の最西端位置し日本海面している。同町の杵築【きつき】地区出雲大社中心にした地域で、出雲大社門前町また日本海水運による物資集散地として発展してきた。
 大土地神楽は、杵築地区の旧大土と旧中村人びとによって伝承され地元大土地荒神社【こうじんじゃ】境内にマイザ(舞座)と呼ばれる舞台仮設し、同社祭礼日演じられている。なお舞座は祭礼前日仮設され、そこで「本ならし」と呼ばれる練習総仕上げが、祭礼当日同じよう行われる両日ともに、夕方六時ころから始まり翌日午前三時半ころまで続く。神楽本番の同神社祭礼日は、江戸時代には九月十六日で、明治になっても、しばらくそのまま続いたが、明治三十年ころから旧暦九月十六日に、明治四十年ころ以降十月二十五日になり、平成十四年から十月二十五日に近い土曜日になっている
 大土地荒神社の社殿は、境内地東北部分に南向き建っている。舞座は、社殿から見て右手斜め前方の境内南西部分に、社殿側を正面にして仮設される。正面横幅が約四・五メートル奥行約六・三メートルで、約一メートルの高さの床が張られる社殿側の約四・五メートル四方三方吹き抜け部分神楽舞われる社殿から遠い方の奥行一・八メートルは床から一五センチメートルほど高くなっていて囃子場と呼ばれ楽器演奏の場所になる。舞座の後方は、幅五メートルどの道路が通っていて、その道路の向こう側に、保存会管理する二階屋があり、通常神楽衣裳楽器収め、また神楽練習場所にもなっている。神楽を行うときは、その二階部分が、舞い手衣裳着けたりする楽屋になる。楽屋と舞座は、道路またいでウキハシ浮橋)と呼ばれる渡り廊下つながっている。舞い手演奏者は、浮橋渡って楽屋と舞座を行き来する
 神楽は、まず「入申【いりもう】し」と呼ばれる大太鼓締太鼓、笛の楽器演奏から始まる。舞座後方囃子場に楽器演奏者が並び舞い手はその前に並んで演奏中は頭を下げている。次に七座総称される儀式的な舞が数演目演じられる七座は「塩清目【しおきよめ】」「悪切【あくぎり】」「神降【かみお】ろし」「茣蓙舞【ござまい】」「八乙女やおとめ】」「手草【たぐさ】」「幣【へい】の舞【まい】」である。このうち「悪切」「手草」「幣の舞」は小学生少年が、「八乙女」は小学生少女が舞う。「茣蓙舞」は四、五歳の幼女主役で、お多福の面を付けた成人登場し舞台上で茣蓙持った幼女の進む方向先導し幼女所作誘導するように舞う。儀式的な舞の後に演劇的な舞が始まる。日本神話題材にした「八千矛【やちほこ】」「山の神」「猿田彦さるたひこ】」「日本武やまとたける】」「八戸【やと】」「岩戸【いわと】」などや、能あるいは民間説話信仰に基づく「田村【たむら】」「五行ごぎょう】」「大恵比須【おおえびす】」「小【こ】恵比須」などが演じられるこのうち山の神」では小学生少年土地の神扮して山の神対決する。「小恵比須」は、小学生恵比須扮して釣り上げる所作見せるものである出演にふさわしい年回りの子どもが多い年は、その子どもたちにも出演機会与えるために、演劇的な舞の間に、子どもによる儀式的な舞が加わることもある。
 島根県各地神楽は、中世後期当時修験者などが中心になって工夫し始まったとされるその後中世末期から近世初期にかけて、同県鹿島町佐太神社で、当時の能を取り入れた神楽始まった。これは、まず仮面付けない七座呼ばれる儀式的な舞があり、次に仮面付けた能の翁と三番叟演じられその後同様に仮面付けて神話などを題材にした演劇的な舞が続くというものである以後島根県各地神楽は、宗教者によって、この構成準じて演じられるようになっていった。
 本来、この地方神楽宗教者よるものであったが、江戸時代中期になると出雲大社近辺各地では、地域一般人びとによる神楽始まった。これらは素人神楽呼ばれときには宗教者による神楽圧迫するほど盛んに行われたため、宗教者側の求めに応じて禁止が命ぜられたが、大土地神楽は、そのときすでに長い歴史をもっていたために、特別に継続許可されとされる
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大土地神楽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/27 07:44 UTC 版)

大土地神楽(おおどちかぐら)は、島根県出雲市(旧簸川郡大社町)にある大土地荒神社の氏子により、300年以上伝承されてきた出雲神楽。国の重要無形民俗文化財に指定されている[1]日本遺産「日が沈む聖地出雲~神が創り出した地の夕日を巡る~」のストーリー構成文化財の1つでもある[1]

概要

大土地神楽のには、「茣蓙舞」や「八乙女」などの儀式的な舞と「猿田彦」や「八戸」などの演劇的な舞がある[2]。その舞い振りや奏楽は、昔ながらの形で受け継がれており、出雲大社門前町として盛んだった芝居興行による影響もあり、能舞の要素が多く含まれた舞も残っており、腰に「まくら」を背負った上に衣装を着けるといった独特な容姿となっている[2][3]江戸時代中期から地域の人びとが演じてきたもので、氏子だけが神楽を舞っていた時代に、当時の松江藩公認で一般の人びとが舞っていた[2][4]。起源は、宝暦4年(1754年)から記録があり、寛政5年(1793年)の「神楽道具控帳」や寛政10年(1798年)の「祷家順番帳」などの記録によると、その頃から氏子達によって舞われていることが確認でき、300年以上途絶えることなく受け継がれている[5][6][7]昭和60年(1985年)4月に、島根県無形民俗文化財に指定、平成17年(2005年)2月には、国の重要無形民俗文化財に指定された。

大土地荒神社の祭礼日に演じられている。祭礼前日に舞台が仮設され、そこで「本ならし」と呼ばれる練習の総仕上げが行われている[8]。両日ともに、午後6時半頃から始まり、翌日の午前3時半頃まで続く。大土地荒神社の祭礼日は、江戸時代から明治後期までは9月16日であったが、明治30年(1897年)から旧暦9月16日に、明治40年(1907年)ころ以降は10月25日になり、平成14年(2002年)からは現在と同じ10月25日に近い土曜日になっている[2]。また近年では稲佐の浜にて弁天島をバックに、「夕刻舞」で舞を披露している[8]

現在では、氏子後援のもとに保存団体に大土地神楽保存会が大土地神楽保存会神楽方が出演している[9][10]。また例祭以外にも、出雲大社例祭への奉納神楽、県内外での公演もしており、平成4年(1992年)にアメリカエリンズバーグ、平成5年(1993年)には、フランスの「パリ日本文化祭」、イギリスロンドンなどの外国でも公演をしている[6]

演目一覧

  • 塩清目
  • 柴舞
  • 八千矛
  • 荒神
  • 野見宿禰
  • 山の神
  • 八戸前素尊(二部構成)
  • 八戸後素尊(二部構成)

脚注

  1. ^ a b 大土地神楽”. 島根大学. 2024年7月27日閲覧。
  2. ^ a b c d 大土地神楽”. 文化庁. 2024年7月27日閲覧。
  3. ^ 大土地神楽”. 全国神楽継承・振興協議会事務局(宮崎県教育庁文化財課内). 2024年7月27日閲覧。
  4. ^ 大土地神楽”. 日本芸術文化振興会. 2024年7月27日閲覧。
  5. ^ 大土地神楽”. 島根県企業立地課. 2024年7月27日閲覧。
  6. ^ a b 社中:大土地神楽保存会”. 出雲大社. 2024年7月27日閲覧。
  7. ^ 大土地神楽”. 大土地神楽保存会. 2024年7月27日閲覧。
  8. ^ a b 大土地神楽”. 出雲市日本遺産推進協議会. 2024年7月27日閲覧。
  9. ^ 日本博「出雲の神楽」の中止について”. 出雲市. 2024年7月27日閲覧。
  10. ^ 大土地神楽”. 出雲市. 2024年7月27日閲覧。

外部リンク



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