岩国行波の神舞
名称: | 岩国行波の神舞 |
ふりがな: | いわくにゆかばのかんまい |
種別1: | 民俗芸能 |
保護団体名: | 岩国行波の神舞保存会 |
指定年月日: | 1979.02.03(昭和54.02.03) |
都道府県(列記): | 山口県 |
市区町村(列記): | 岩国市大字行波 |
代表都道府県: | 山口県 |
備考: | |
解説文: | 周防に伝承される神楽の一つで、七年に一度執行される年期神楽である。毎年十月十四日に小神楽として荒玉社境内でその一部が上演されるが、七年目の大きい神楽の時には、錦川の川原に赤松の柱九本で約八メートル四方の神殿を建て、屋根を藁のこもで葺いて中央に天蓋を飾る。さらに神殿より約二十五メートル川上に、非常に高い赤松を一本立て、八関の舞の時に、この松柱に登る曲芸的な舞を演じる。曲目には、荘厳【かんごん】(神殿【かんでん】入り)、六色幸文祭【ろくじんこうぶんさい】、諸神勧請【しよしんかんじよう】、注連灑水【ちゆうれんしやすい】、荒霊豊鎮【こうれいぶちん】、真榊対応内外【まさかきたいおうないがい】、日本記、天津岩座【あまついわと】、弓箭【ゆみや】将軍、三宝鬼人、五竜地鎮、愛宕八幡【あたごはちまん】、八関【はつせき】の舞【まい】、湯立【ゆたて】、火納があるが、このうち八関の舞以下は、七年目の神楽の時だけに演じられる。 周防地方に伝承される神楽の中でもきわめて優れた内容を持ち、地方的特色の濃い神楽として重要である。 |
岩国行波の神舞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/17 18:48 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動岩国行波の神舞(いわくにゆかばのかんまい)は、山口県岩国市行波(ゆかば)に近世以前から伝承され、地元の人々によって奉納されている神楽。国の重要無形民俗文化財に指定されている。「岩国行波の神舞」は民俗文化財としての指定名称で、地元(行波地区)での呼称は、神舞(かんまい)もしくは神楽(かぐら)。
概要
岩国行波の神舞は、7年に一度、4月に行われる式年の神楽であるが[1]、毎年10月中旬、行波の荒玉社の例祭においても神楽が奉納される。秋の例祭で奉納される演目は以下の12座である。
- 荘厳
- 六色幸文祭
- 諸神勧請
- 注連灑水(ちゅうれんしゃすい)
- 荒霊豊鎮
- 真榊対応内外(まさかきたいおうないぎ)
- 日本紀
- 天津岩座
- 弓箭将軍
- 三宝鬼人
- 五龍地鎮
- 愛宕八幡
7年に1度の式年の神楽(願舞)の年の4月には、行波地区を流れる錦川の河原に四間四方の神殿が組まれ、上記の全ての演目が執り行なわれるほか、「八関」(「八関の舞」もしくは、「松の舞」とも呼ぶ)という神楽が披露される。「八関」では高さ25メートルの松を立て、そこに演者が這い上がる。「願舞」では、「湯立」および「火鎮」と呼ばれる神事も執行される。これら神事と上述の全ての演目を奉納するには、前夜祭から当日にかけての約15時間を要する。
奉納場所
- 荒玉社:
- 社殿前の敷地(右側へと続く)にて奉納すると考えられる。
- 願舞の年に会場となる錦川の河原:
- 河原は看板の向こう側である。
補足: 神舞を伝承する為の練習場として、荒玉社の近傍に岩国行波の神舞伝承館が設置されている。
歴史
- 起源:以下の2つの説がある。
- 1791年:記録に残る最古の神舞。以降、7年毎の願舞は、途切れることなく奉納されている。(当時の神舞は神主が主体で執り行なう社人神楽であった)
- 明治維新の頃:世襲制の廃止に伴い、神舞が神主から里人(地元住民)へと伝授され、奉納の主体も地元住民に移る。
- 古式がよく守られ、その形態を変えることなく伝承している神楽として、以下のような指定、選択を受ける。
- 2019年(令和元年)4月7日:次回の願舞(予定)
脚注
- ^ 「式年」とは「決められた年に行う」の意。「7年に一度」とされているが、この「7年」は数え年で、実際は6年毎である。
関連項目
外部リンク
- 岩国行波の神舞ホームページ
- (「岩国行波の神舞」のホームページ)
- 岩国の文化財 岩国徴古館 岩国学校教育資料館
- (国指定文化財の項目)
- 上沼田(うえぬだ)神楽保存会 - ウェイバックマシン(2001年3月9日アーカイブ分)
- (「山口県内の神楽」→「岩国行波の神舞保存会」へとリンク辿る)
- 岩国行波の神舞 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
座標: 北緯34度9分53.02秒 東経132度5分17.23秒 / 北緯34.1647278度 東経132.0881194度
- 岩国行波の神舞のページへのリンク