原潜の普及とパッシブ戦への移行とは? わかりやすく解説

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原潜の普及とパッシブ戦への移行 (1960〜1980年代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 02:52 UTC 版)

対潜戦」の記事における「原潜の普及とパッシブ戦への移行 (19601980年代)」の解説

一方このような技術装備改良並行して理論戦術に関する洞察進められていた。第2次世界大戦実戦環境下で収拾された様々なデータ整理されとともに数学海洋学等の学術的アプローチ加味し研究が行なわれた。海洋音響学進歩や、平時からの海洋観測によって海底地形底質潮流海流地磁気水質水温塩分など)などの情報蓄積することで、エビデンスに基づく探知予察が可能となりつつあった。1961年にはSOSUS実戦段階移行しパッシブ手段による広域対潜捜索基礎整えられた。 そしてこの探知予察実戦応用するため、アメリカ海軍においては対潜戦システム化志向されるようになった対潜哨戒機用としては、A-NEWシステム1960年から海軍航空開発センター英語版) (NADC,Naval Air Development Center)(現:海軍航空戦センター英語版)(NAWC,Naval Air Warfare Center))により開発開始し1963年にはUNIVAC-1830(CP-823/U)を用いた試作機完成実用機であるCP-901/ASQ-114(UNIVAC 1830A)を搭載したP-3C1969年より部隊配備開始した。なおシステム名称は、単に「新たなASW武器システム」(a new ASW weapons system)をもじったものと言われている。 さらに1964年9月には、当時対空戦AAW)を主眼として就役始めていた海軍戦術情報システムNTDS)を対潜戦向けに発展させる試みとして、ASWSC&CSASW Ship Command and Control Systemに関するSORSpecific Operational Requirement)が発出された。これは基本的にプロトタイプに過ぎなかったが、実用試験のためにASWSC&CS搭載した3隻のHUK(Hunter/Killer)任務群を編成することが決定され1966年から1967年にかけてエセックス級空母一隻である「ワスプ」を対潜空母として改装し(CVS-18)、また当時建造中だったガーシア級フリゲートのうち「ヴォーグ」(FF-1047)および「コーレシュ」(FF-1049)がASWSC&CS搭載するよう改設計受けた。この試作成果は後にスプルーアンス級駆逐艦オリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲートなどのNTDSにおいて統合された。 そして1969年には、海軍艦隊気象数値センター(FNWC)により、全世界規模対潜戦支援する探知予察システムとして、固定翼哨戒機向けのASRAPS(Acoustic Sensor Range Prediction System)および回転翼哨戒機向けのSHARPS(Ship Helicopter Acoustic Range Prediction system)が稼働開始した一方作戦環境においては1960年代末から1970年代にかけて、アメリカ海軍は、仮想敵であったソビエト連邦軍における潜水艦原子力推進化と潜水艦発射対艦巡航ミサイルUSM)の配備という新たな状況変化対応する必要性直面していた。原子力潜水艦対潜水上艦追尾振り切りうる機動性備えており、USM配備は、直衛線を突破されずとも船団攻撃される危険性示していた。 これに対処するため、1960年代後半より、アメリカ海軍対潜作戦をアクティブ・オペレーションからパッシブ・オペレーションに転換するよう志向するようになった当時、艦装備ソナーはアクティブ・モードでの運用主としていたことから、まずDASHによりパッシブ型ソノブイ投射する研究DEStroyer JEZebel system, DESJEZ)が着手されたが、1969年DASH運用停止伴って有人でより汎用性の高いSH-2 LAMPS Mk Iヘリコプター導入されたことにより、問題一足飛び解決されることとなった。 またこれらと並行して収束帯 (CZ) を利用して遠距離探知可能なソナー・システムの開発進められた。艦体装備方式ではソナー・アレイの全長限度があることから、このような制約もたない曳航式のソナー・システムの戦闘艦への配備計画された。これは、SURTASS計画並行して、ETAS (Escort Towed Array Sensor) として開発されることとなった。まず、初期曳航ソナー・システムであるAN/SQR-15 TASSが、1973年から1974年にかけてブロンシュタイン級フリゲートなど一部の艦に実験的に配備された。しかし、これは装備艦の戦術的行動あまりに大きく制約されることから、最終的に撤去されていた。この経験から、アメリカ海軍は、戦闘艦装備した場合に、より柔軟な運用が可能であることが必要であると考えるようになり、これを反映して計画名はのちに、戦術曳航ソナー・システムに変更された。 海上自衛隊初参加した1980年環太平洋合同演習リムパック80)の時点で、アメリカ海軍は既にパッシブ・オペレーションへの移行をほぼ完了しており、日本側に大きな衝撃与えた演習期間中、アメリカ海軍対潜戦に従って行動したあまつかぜにおいては実働11日間の演習中、アクティブ・ソナー発振は、接敵直前のわずか10分間のみであったとされている。

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