北欧諸国の近代化とは? わかりやすく解説

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北欧諸国の近代化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 05:41 UTC 版)

北欧史」の記事における「北欧諸国の近代化」の解説

詳細は「汎スカンディナヴィア主義」、「シュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題」、および「第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争」を参照 デンマーク啓蒙思想改革遂行したフレデリック6世ナポレオン戦争の後、著しく減衰した国力回復注力したが再興は容易ではなかった。通商政策阻まれ主力であった穀物中心とした輸出産業がままならなくなり商工業疲弊不振招いた。しかし、1830年代入り西欧諸国産業革命進行するに従って穀物価格の高騰発生しデンマーク経済回復兆し見せようになった。生活が豊かになるにつれて勢力伸張させていった国民たちは団結意識目覚めるようになり、1842年には国民自由党を、1846年には農民党結成する至った国民主義自由主義機運高まっていく時代流れ明察したクリスチャン8世は自由憲法制定必要性感じ取っていたが、同時に湧き上がったシュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題解決に力を割かれたため、彼の在位中に実現には至らなかった。1848年フレデリク7世即位するシュレースヴィヒデンマーク領であることが宣言された。ホルシュタイン公国はこの宣言に対して反乱起こしキール臨時政府設けて独立宣言したデンマーク反乱の鎮圧に動くと臨時政府ドイツ連邦援け求めたため、これを契機デンマークプロイセン王国との間でデンマーク戦争勃発した戦況プロイセン優位進んでいたがロシアイギリスの介入により膠着状態に陥り、1852年ロンドン議定書取り交わされ、一応の決着見た。しかし、クリスチャン9世が即位すると特別憲法制定しシュレースヴィヒホルシュタイン両国併合画策したため、再び反乱勃発し、これを支援するプロイセンオーストリアとの間で第二次デンマーク戦争発展したプロイセンオットー・フォン・ビスマルク外交政策によりデンマーク孤立化し、1864年両国に関する一切権利破棄するウィーン条約締結され一連の問題終結見たシュレースヴィヒホルシュタイン失ったデンマークは、「外に失いしものを内にて取り戻さん」の言葉象徴されるように、未開ユトランド半島北部開拓乗り出した軍人エンリコ・ダルガス1866年デンマーク・ヒース教会da)を設立しヒース覆われユトランド半島北部植林行い沃野にし、経済復興促したまた、教育制度進展農民のための貯蓄銀行設立などはデンマーク経済発展促した1870年代にはアメリカ合衆国安価な穀物負け危機になったものの、イギリス酪農製品需要高まり応じ穀物から酪農への産業構造の転換行い国民所得増加し1890年代第二次産業革命につながるのであったスウェーデンでは1809年カール13世即位と共に立憲君主制規定した新憲法制定され民主化大きく前進したが、戦争爪痕深く厳しい状況にあった1818年即位したカール14世はこうした国内経済の建て直し緊張していた国際関係円滑化に尽力し1830年代に入るころには景気徐々に好況を示すようになったオスカル1世カール14世方針引き継いだ治世行いギルド廃止自由貿易認可民間銀行法の設立など、前近代的産業の発達抑制するくびきとなっていた障害排除乗り出し民主化を一層推し進めた19世紀ベルナドッテ朝時代は、国内では武装中立表明し欧州の情勢に対して中立化試みられたが、オスカル1世次代カール15世治世下ではデンマークにおけるシュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題クリミア戦争など北欧の平和は危機迎えていた。スウェーデンは、デンマークとの結びつき深め汎スカンディナヴィア主義牽引となって欧州列強対抗した汎スカンディナヴィア主義は、ドイツ統一運動衝突しスウェーデン中心とした北欧統一運動が盛んとなり、中世カルマル同盟再興目指したが、汎スカンディナヴィア主義挫折と共に終焉した(汎スカンディナヴィア主義は、スウェーデン人デンマーク人だけでなくノルウェー人参加していた。この運動の理念消滅は、北欧自立化促進しノルウェー独立一因になったともいえる)。 キール条約によってスウェーデンとの同君連合結成したノルウェーではマグヌス・ファルセンによってエイズヴォル憲法制定され国会政治の中心を置き、立憲君主制規定され国民基本的人権確認なされた。これによってノルウェーではスウェーデン王統治者戴きながらも国会内閣による自治が可能となり、民主化大きく進んだフランスで起こった7月革命影響によって国民が強い政治意識を持つようになると、1869年には農民市民代表する革新派呼ばれる議員たちによって自由党結成された。この結果保守派勢力衰勢向かい1884年自由党立ち上げたヨハン・スヴェールップがはじめて首相に任じられ政党政治発足した政治の発展に伴い産業経済急速に進展し、特にイギリス手本として開始され紡績マッチ醸造といった諸産業大きく伸張した。同時に漁業海運業1870年代に入る頃には商船保有量がイギリスに次ぐ規模となるほどの著し発展見せた。ここにきてスウェーデン主導権廃する動き再燃し独立運動へとつながっていくこととなった

※この「北欧諸国の近代化」の解説は、「北欧史」の解説の一部です。
「北欧諸国の近代化」を含む「北欧史」の記事については、「北欧史」の概要を参照ください。

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