初代 RD1/2型(1995年 - 2001年)
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「ホンダ・CR-V」の記事における「初代 RD1/2型(1995年 - 2001年)」の解説
1995年(平成7年)10月9日にオデッセイに続くクリエイティブ・ムーバーシリーズの第2弾として登場。後に登場するオルティアとエンジン、シャシー、プラットフォーム(ベースはEK系シビックのもの)を共用している。 クロスオーバーSUVでありながら、当初は全車コラム4速AT・デュアルポンプ式4WD車のみの設定で、乗用車としては珍しいステッキ式パーキングブレーキを採用、前後ウォークスルーも可能、当時としては珍しい「排気量2.0 L以下の3ナンバーSUV」であるなど、悪路走破性よりも居住性、実用性を重視したモデルであった。さらに、オフロード走行に重点を置いたラダーフレーム式のSUVとは一線を画す都会的でスタイリッシュなエクステリアデザインと、軽量ボディに四輪ダブルウィッシュボーン式サスペンションを採用した乗用車譲りの運転しやすさ、走行安定性のほか、最廉価グレードが172万円から用意されるなど価格面も評価された。 CR-V登場以前は自社生産のSUVを持たないホンダが販売上苦戦していた積雪地・寒冷地では、発売されると試乗待ちの列ができ、納車まで最長3か月待ちとなるほどの好セールスを記録した。CR-V発売の一年前には同様のクロスオーバーSUVであるトヨタ・RAV4が発売されてはいたが、後から出たモデルということもあり、商品力に長けたCR-Vが勢いに勝った。 エンジンはVTEC機構非採用のB20B型のみを搭載しており、軽量なボディとも相まって動力性能は十分であったが、FFベースのスタンバイ4WD(デュアルポンプ式)を採用していたため、非積雪路での燃費は他社同等クラスの4WD仕様と比較しても良好であったものの、後輪への駆動力の伝達がスロットルコントロールに対してリニアではなく(緩慢かつ唐突)、スタックからのリカバリーや、ブラックアイスバーンなどの低μ路でのコントロールは特に難しく、そのような場面の走行性能は酷評を受けた。CR-Vは過剰なオフロード性能を排して、基本的にシティユースというコンセプトで作られており、オフロードや深雪でもない限り問題ないロードクリアランスを備えてはいた。このことから、日常的な使用では特に他社製のスタンバイ4WD式クロスオーバーSUVに劣ることはないとの意見もあったが、四輪駆動が最も必要とされる局面で上記の極端な挙動変化は無視できない弱点であった。また、車体底面の中央部にマフラーが突出して配置されていたため、僅かな起伏で当該部位が損傷する可能性も高かった。 当初は右ハンドルのみ・日本国内専用車として開発され、輸出仕様車の生産予定はなかったが、来日した北米ディーラーの社長から強い要望があり、急遽左ハンドル車が開発・世界各国に輸出され、海外でも人気を博する大ヒット車となった。また開発当初はFFミッドシップ構造で開発する予定だったのが当時の社長であった川本信彦の鶴の一声でシビック系のプラットフォームを基に開発し直した。 1997年(平成9年)10月のマイナーチェンジで、ABS/エアバッグの標準設定、AT制御の改良、デュアルポンプの改良、MT車の設定(145 PS)などが行なわれた。AT車は「スマートスケープ」、MT車は「アクティブスケープ」と呼ばれるようになり、併せて一部車体色の差し替えが行われた。 1998年(平成10年)12月のマイナーチェンジでは、スペアタイヤ位置を背面から床下吊り下げに変更した新グレードの「フルマーク」を新設。従来の背面スペアタイヤ仕様も「パフォーマ」として併売された。動力面ではMT車/AT車共にエンジン出力が150 PSに改良され、VSA(ビークルスタビリティアシスト)装着車を設定し、衝突安全性能の向上策も実施された。このマイナーチェンジを機にホイールも5穴化されている。また、悪路走破性能をさほど必要としないユーザー向けのFF車も新設定された。 2001年(平成13年)8月に生産終了。在庫対応分のみの販売となる。 2001年(平成13年)9月に2代目と入れ替わる形で販売終了。 2018年(平成30年)に制作されたRW系のテレビCM「OPEN MIND VEHICLE」編では、1999年式の当モデルとすれ違うシーンが登場している。 前期型リア 後期型フロント
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