先史時代の遺跡
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発見時、マルデン島は無人島であったが、何らかの神殿など一時は人間が居住していたと考えられる遺跡が発見された。この遺跡の由来は、しばしば推測で「難破した船の船員」、「海賊」、「南アメリカのインカ人」、「大昔の中国の航海者」など様々な存在によるものであると述べられる。1924年には、ホノルルのバーニス・P・ビショップ博物館から考古学者のケネス・エモリー(英語版)を招いて調査が行われた。エモリーは、これらの遺跡は小規模なポリネシア人のグループによって築かれたと結論付けた。エモリーによれば、おそらく数世紀前に居住しており、数世代の人間が居住していたと推測された。 これらの石造りの遺跡は、主に島の北側と南側の海岸沿いの隆起部に所在している。合計で21箇所の遺跡が発見され、特に島の北西側に存在する3つの遺跡は他のものと比べて大規模なものであった。これらの遺跡には、マラエと呼ばれる祭祀用の壇、住宅跡、墓の跡が含まれる。トゥアモトゥ諸島に存在する石造りの遺跡と比較すると、約100人から200人程度の住人がいればこの規模の建築を行うことが可能であると考えられる。マルデン島の神殿(マラエ)と同じタイプのものは、オーストラル諸島の1島であるライヴァヴァエ島(英語版)でも発見されている。これらの先住民は複数の井戸を使用していたと考えられ、枯れ果てたり塩水が湧き出るようになってしまった井戸の跡が後の開拓者によって発見されている。
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先史時代の遺跡
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「長崎県指定文化財一覧」の記事における「先史時代の遺跡」の解説
この分野では、世界最古級の土器が発掘された国指定史跡の泉福寺洞窟や一支国の都といわれる特別史跡の原の辻遺跡が知られる。そのほかにも、縄文遺跡の福井洞窟、弥生遺跡の塔の首遺跡、県南の原山支石墓群、県北の大野台支石墓群が国指定の重要文化財史跡である。 名称位置指定日解説佐世保市岩下洞穴 佐世保市松瀬町 1968年12月23日 昭和39年(1964年)に調査された縄文時代早期~前期の洞穴遺跡。3基の炉跡、人骨29体が検出された。早期爪形文から前期曽畑式への土器の遷移が見られる。石器は局部磨製石鏃をはじめ石鏃が中心である。 下本山岩陰遺跡 佐世保市下本山町 2007年3月7日 昭和45年(1970年)に調査された縄文時代前期から弥生時代の遺跡。洞窟から竪穴住居へ定住地が遷移する過渡期の遺跡とされる。縄文時代・弥生時代各2体の人骨をはじめ、縄文土器・石斧・海産魚介類・漁労骨角器が多数検出された。 川頭遺跡 諫早市湯野尾町 1975年1月7日 昭和49年(1974年)に調査された縄文時代早期・中期の遺跡。早期の遺構は住居2棟ぶんの柱穴、遺物は押形文土器・石鏃や石匙などの石器類が検出された。中期の遺構は土壙墓1基、その中に阿高式土器片が検出された。 佐々町狸山支石墓群 佐々町松瀬免 1958年6月5日 昭和32年(1957年)に調査された縄文時代中期~晩期の支石墓7基。全長が短い特徴があり、遺体は伝統的な蹲踞屈葬であったと推測される。3号墓からは副葬品として中期~晩期に作られた鰹節型大株が検出されている。 白浜貝塚 五島市向町 1981年3月27日 昭和54年(1979年)に調査された縄文時代後期・同晩期・弥生時代前期の3地区に分かれる複合遺跡。後期地区では土器片や石錘・石匙、晩期地区では子を抱く親と思われる埋葬人骨、弥生地区では多数の魚骨・海獣骨と骨角器が検出された。 寄神貝塚 五島市岐宿町寄神 1962年3月27日 昭和37年(1962年)に調査された弥生時代の住居・墓地跡。竪穴式住居3基・平地式住居7基を中心とする。墓坑は5~6体の人骨と獣骨を同時に埋葬した特殊な構造。貝塚の貝は岩場の固着貝が大多数を占め、イワガキが中心となる。 里田原遺跡 平戸市田平町里免 1973年2月6日 昭和47年(1972年)に調査された弥生時代中期~中世の集落・墓地。水田跡と思われる条理遺構があり、700点を越す鍬・杵などの木製農具が発掘された。未完成農具や磨製石器の発掘から工房の所在も推測される。祭器や装飾武具から支配者の存在も確認される。 宇久松原遺跡 佐世保市宇久町平 2013年10月4日 昭和43年(1968年)に調査された弥生時代早期・中後期の墓地跡。4回の発掘で支石墓9基・甕棺墓35基・石棺墓8基・土壙墓10基・石囲墓1基が確認され、貝製の腕輪や臼玉などの副葬品・装飾品が検出された。 神ノ崎遺跡 小値賀町黒島郷 1991年3月29日 昭和57年(1982年)に調査された弥生時代中期~古墳時代後期の墓地。有明海沿岸に分布する弥生時代の板石積石棺や、古墳時代の地下式板石積石室墓が36基検出される。分布上の飛び地である点や500年前後営々と造営されてきたことが注目される。
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