先史時代・古代・中世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 09:34 UTC 版)
「カタルーニャ州」の記事における「先史時代・古代・中世」の解説
カタルーニャ地方に残る最古の人類の痕跡は、トータヴェル(現フランス・ピレネー=オリアンタル県)近郊のアラゴ洞窟に残っている。中期旧石器時代にはカタルーニャの大部分にネアンデルタール人が住んでおり、後期旧石器時代にはカタルーニャ全体で5,000-8,000の人口があった。新石器時代には集団埋葬が行われ、青銅器時代には巨石記念物の文化が発達した。鉄器時代にはケルト人が火葬の文化や金属加工の技術をもたらした。 紀元前8世紀から紀元前6世紀には、ギリシア人がロザスに植民市を建設し、ポカイア人がアンプリアスを建設している。ローマ人はカルタゴ人と衝突して地中海沿岸で領土争いを繰り広げた。紀元前216年にはローマがエブロ川以北の土地を占領してタラコ(現・タラゴナ)を建設。イベリア半島の北半分にヒスパニア・キテリオル属州(共和政ローマ期)を設置してローマ化を進め、バルキノ(現・バルセロナ)などの植民市を建設した。タラコはヒスパニア・タラコネンシス属州(帝政ローマ期)の首都となり、ローマ支配下のイベリア半島でもっとも重要な都市だった。3世紀以後には北方からフランク族などがタラコネンシス属州に侵入、480年以降には西ゴート族がカタルーニャを含むイベリア半島を占領し、589年にはイベリア半島が統一されて西ゴート族の中央集権国家が誕生した。 711年にイベリア半島に侵入したイスラーム教徒はわずか数年間でカタルーニャを征服した。リュブラガット川以北の「旧カタルーニャ」ではイスラーム教徒の支配期間は100年間にも満たなかったが、リュブラガット川以南の「新カタルーニャ」は12世紀半ばまでイスラーム教徒の支配下にあった。8世紀末から9世紀初頭には旧カタルーニャがフランク王国に編入され、795年にはイスラーム勢力に対する緩衝地帯の役割を果たすスペイン辺境領が設置された。878年にはギフレー1世(スペイン語版)(多毛伯)がバルセロナ伯に任ぜられ、後の歴史家はギフレー1世がカタルーニャの初代君主であると考えている。ギフレー1世はその子孫がバルセロナ伯を継承する世襲制を確立させ、この王朝は1412年まで続いた。987年にはカタルーニャ君主国が生まれており、カタルーニャが主権への道を歩み出したのはこの1000年頃であるとされる。
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