先史時代・古代の歴史(紀元前8000年 - 400年)
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「アイルランドの歴史」の記事における「先史時代・古代の歴史(紀元前8000年 - 400年)」の解説
主要記事:Early history of Ireland キリスト教布教以前のアイルランド人に関する記述はわずかしか残されていない。古代ローマの記述家によるアイルランドの詩、神話などが残されている。 アイルランドにはじめて人類が居住したのは紀元前8000年頃、石器時代から中石器時代にかけ氷河が後退し気候が温暖になった以降である。その頃の人々はヨーロッパ先住系のハプログループI (Y染色体)に属す人々と考えられる。 それから3000~4000年後には大陸から農業が導入され、ニューグレンジなどの巨石記念物に代表される新石器文化が繁栄した。この農耕と巨石文明をもたらしたのはハプログループG2a (Y染色体)に属す人々と考えられる。現在痕跡が残る程度のこれらの文化は当時非常に栄えアイルランド島の人口も増加した。 紀元前2500年に始まる青銅器時代には金、青銅製の装飾品が多くつくられ、現在もその遺物を見る事ができる。この頃にはケルト系ハプログループR1b (Y染色体)が到達したと考えられる。 アイルランドにおける鉄器時代は紀元前600年に始まった。431年以降にはTuisceart、Airgialla 、Ulaid、Mide、Laigin、Mumhain、Cóiced Ol nEchmachtなどの王国が騒乱を繰り返した。これらの王国は僧侶(ドルイド)たちにより支配されていた。ドルイドは教育者、科学者、詩人、占い師、法と歴史の担い手として働いていた。 イギリス、アイルランドの歴史家たちは、これらの古代アイルランド人の用いた言語はケルト語の一分派であるゲール語であり、古代のケルト族の侵攻によりアイルランドに定着したと考えてきた。しかし20世紀に入りアイルランド固有の言語、文化は周囲から独立して発展してきたとする学説が台頭してきた。これはケルトの侵攻を証明するような考古遺跡がいまだ発見されていないことを根拠としている。近年おこなわれた遺伝学的調査からは、ケルト文化は後期青銅器時代に次第に吸収されたという仮説が支持されている。 ローマ人はアイルランドをヒベルニアと呼称していた。また、プトレマイオスはアイルランドの地理、種族を記している。アイルランドはローマ帝国に属することこそなかったものの、ローマから多大な文化的影響を受けていた。タキトゥスはアイルランドの族長たちがブリテン島のアグリコラと同盟し、アイルランドの支配権を取り戻したと記している。一方ユウェナリスによるとローマの支配はその国境を越え広がっていたとされる。ローマ帝国が軍を進めていたならば、アイルランドにおける抵抗はたちどころに粉砕されたと思われる。ローマとヒベルニアとの関係については現在も不明な部分が多い。
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