先史時代~中世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/08 14:25 UTC 版)
最も早い人類の足跡は新石器時代に遡る。これはすなわち、島ができた直後からすぐに人が往来していたということである。当時は主にアザラシ漁を目的とした季節的移住であった。この状況は人跡の絶える鉄器時代末まで続いたと考えられる。ただし、移動する砂丘の下に史跡が隠されている可能性もある。なおも人が訪れていた証拠として、ヘーガランドには青銅器時代の大規模なケアンの墓標なども遺っている。 中世になると一転して定住化が進んだことが建物の基礎や墓石などの遺構から分かる。島にはセールデンとヴァルヴスブクテンに2つの集落があった。1361年以降、島はデーン人の治下に入り、開拓はフォーレ島の住民に委ねられた。彼らは島をアザラシ猟や漁撈、牧羊に利用していた。1645年、島はブレムセブルー条約によってゴットランド島とともにスウェーデン領となったが、スウェーデン王国はフォーレ島民にゴツカ・サンド島の利用権を認めた。この時期、島には約200頭の牧羊がおり、住民は放牧地の改良のために森を定期的に焼き、ヘザー(ギョリュウモドキ)の生育を促した。 1758年、スウェーデンはゴツカ・サンド島を牧羊に使おうとしたヴィスビューの商人ヨハン・リスベリ=ラーソンに売却した。この取引はそれまで島を利用してきたフォーレ島民とヨハン、国の間に対立をもたらした。フォーレ島民が貸借料の支払いを得ることで裁判は決着をみたが、1781年に彼らが撤退すると、王は1772年に行われた島の精密な測量の費用を支払うように主張した。1783年、ゴットランド県が20年間の島の貸借を行い、ストックホルムの実業家マグヌス・ベネディクトゥスが権利を勝ち取った。これをもってゴツカ・サンド島の私有化の時代が始まる。
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