小笠原諸島で行なわれた先史時代の遺跡調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 07:33 UTC 版)
「石野遺跡」の記事における「小笠原諸島で行なわれた先史時代の遺跡調査」の解説
東京都教育委員会では、1972年(昭和47年)に東京都遺跡地図を作成する中で小笠原諸島の遺跡についても調査を行った。この中で父島の大根山遺跡から打製石斧などの石器類、そして母島からも骨角器と貝製品を採取し、有史以前、小笠原諸島に人が居住していたことが明らかとなった。その後1984年、1985年(昭和59、60年)と、国際基督教大学考古学研究室の手によって父島、母島の調査が行われ、母島から中世の頃の可能性がある素焼きの土器が発掘された。 小笠原諸島にも開発の手が伸びだす中、日本列島、南西諸島、そしてマリアナ諸島などからの文化的影響が想定される小笠原諸島の先史時代の遺跡について調査を行うことを目的として、小笠原諸島他遺跡分布調査会が組織され、平成元年度から3年度にかけて3ヵ年の計画で小笠原諸島の遺跡調査が実施された。予算不足等のため、聟島列島、硫黄島、南硫黄島、南鳥島などは調査を行うことが出来なかったが、父島列島、母島列島、そして1920年に磨製石斧の存在が明らかとなった北硫黄島の調査が行われた。 北硫黄島では、平成元年度は台風接近の影響で調査を行うことが出来なかったが、平成2年度と平成3年度には調査が行われ、1991年(平成3年)7月、平成3年度の調査の中で石野遺跡が発見された。
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