小笠原諸島における英語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/10 15:10 UTC 版)
「日本における英語」の記事における「小笠原諸島における英語」の解説
「小笠原方言」も参照 小笠原諸島においては1830年にナサニエル・セイヴァリーら欧米系島民が日本人より先に入植した事から、19世紀後半には日本語と並行して東ニューイングランド英語(英語版)をベースとし日本語(特に八丈方言)や太平洋諸島の諸言語の影響を受け準クレオール化した独自の「ボニン英語」が話されていた。のちに第二次世界大戦後にアメリカ合衆国による統治が行われてた影響で一般米語やハワイ・クレオール英語影響も強まったが、同時に家庭内など非公式の場においては日本語も併用され続けた。これらの要因が重なった結果、特に本土復帰前の世代において日本語と英語それぞれの文法構造と音韻構造を保ったまま頻繁に双方を織り交ぜる話法が醸成された(ダニエル・ロングはこれを小笠原混合言語(Ogasawara Mixed Language, OLM)という混合言語であるとしている)。ただし、本土復帰以降は日本語化が急速に進み、それ以降の世代においては固有名詞などに「ボニン英語」の要素が残る程度となっている。
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