小笠原諸島の開発開始と生態系への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 09:19 UTC 版)
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18世紀に入り、北太平洋が捕鯨の一大拠点となったことにより、小笠原諸島近海にもアメリカ、イギリスなどの捕鯨船が多く出没するようになった。そのような中、1826年から1828年にかけて、父島の二見港で沈没したイギリス船ウイリアム号の乗組員2名が父島に居住した。 1830年6月、ハワイからの移住民30名が父島に上陸し、定住生活を開始した。移住民たちは父島の開墾を行い、トウモロコシやジャガイモなどの栽培や牧畜、そしてウミガメの捕獲などの漁業を営み、当時北太平洋で操業していた捕鯨船が父島に寄港する際に生産物を販売して生計を営んだ。1830年代から1850年代にかけて、父島のかなりの部分に開墾地が広まり、母島にわずかな住民が居住を開始したのみで本格的な開発はまだ行われなかった。この時期、生態系に大きな影響をもたらしたと考えられるのがヤギやブタなどの放牧である。放牧は父島のみならず弟島など周辺の島々にも広がり、放牧した家畜はやがて野生化し、捕食者がいない小笠原諸島では数が増えて生態系に悪影響をもたらすようになった。
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