小笠原諸島実況とは? わかりやすく解説

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小笠原諸島実況

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 00:17 UTC 版)

太田實 (実業家)」の記事における「小笠原諸島実況」の解説

1876年明治9年3月小笠原島日本統治各国通告された。それに伴い小笠原諸島内務省直轄とされ、出張所新設することになった。これを聞き及んで、實はその建築工事請負申請し許可得た。それで大工および人夫4~50人を募り木材調達し役人従い定期船「社寮丸」で横浜発った父島二見港入港し直ち木材を筏に組み翌日荷揚げせんとし、夜筏上に座して夜明け待っていたところ、たまたま風波が俄かに起こり、ついに木材過半流失してしまった。僅かに残材集めて陸に揚げ建築始めた材木欠乏のため前もって期待していたとおりにはいかず、事業他人に譲って自己出張所雇員となった父島から距離28海里ところに母島があり、そこにドイツ人ロルフス(ロース)なる一家移住しており帰化希望していた。手漕ぎ小船で、荒波乗り越え母島渡ったロース喜び大い歓待した。實は数十日間そこに留まり、諸群島巡遊した。その際多く見た。そしてロースその利益大だ云うのを聞き小笠原群島耕耘牧畜の地ではなくその利益漁業にあることを悟る。帰京後、漁捕鯨)のことを遊説したが、人は皆、新しがり屋のすることだと言い誰も応じなかった。 しかし、この見聞が實が生涯通して水産業殖産(大日本水産会幹事水産伝習所創立監事浅草公園水族館設立など)に力を注いでいく源となったと言える。 翌12年3月13日豊島丸」にて帰京し小笠原諸島での見聞を『東京日日新聞』に4月9日から25日までに10回にわたり「小笠原島実況」として寄稿した当年20歳であった

※この「小笠原諸島実況」の解説は、「太田實 (実業家)」の解説の一部です。
「小笠原諸島実況」を含む「太田實 (実業家)」の記事については、「太田實 (実業家)」の概要を参照ください。

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