中世ヨーロッパでの流行とは? わかりやすく解説

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中世ヨーロッパでの流行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 04:43 UTC 版)

ハンセン病の歴史」の記事における「中世ヨーロッパでの流行」の解説

感染症の歴史#ハンセン病」も参照 ヨーロッパには中世初期侵入した考えられており、300年頃からみられ、民族大移動などによって全ヨーロッパ広がったとみられるイエス・キリストレプラ患者触れて治癒させた奇跡記述が『新約聖書』「ルカによる福音書」にあり、イエス絶対愛のあり方物語っている。ローマ教会患者救済のため、「ラザロ」の寓意よりなる「ラザレット(英語版)(らい院)」を設け患者救済保護はじめた11世紀・12世紀にはハンセン病流行急速に拡大した1096年はじまった十字軍は、パレスティナの特にエルサレム地域ハンセン病ヨーロッパ蔓延するきっかけとなった罹患した兵士のためにエルサレムにラザレットが作られ患者救済が行われた。英邁知られるエルサレム王国国王ボードゥアン4世ハンセン病患者とみられている。その後ヨーロッパ各地にもハンセン病蔓延してきたため、フランスドイツなどにもラザレットが建てられた。ラザレットでは、ハンセン病を「ミゼル・ズフト」(貧しき不幸な病)と称して救済が行われたが、当時ローマ教会は『旧約聖書』にもとづき、「ツァーラアト」の措置として「死のミサ」や「模擬葬儀」など祭儀的な厳し措置が行われることも多かったまた、外出時には自分患者であることを分かるような服装強制され公衆の場に出ることは制限された。 『旧約聖書』「レビ記」の13章14章には、患者思しき人物一時的に隔離して祭司経過観察する法があるが、これには感染していなかった場合治癒した場合復権規定含まれており、不治の病あるかのような誤解にもとづく種々の差別とは一線を画している。中世において行われていたのは公衆衛生上の隔離ではなく風俗規制」による社会的隔離のための患者隔離政策であった具体的には「現社会からの追放」「市民権相続権剥奪」「結婚禁止家族との分離離婚許可」「就業禁止退職促進」「立ち入り禁止などの行動規制」などであった一方で兵役納税裁判出頭義務免除されていたが、それは公民としての存在否定されていたことを意味する。そのため、ハンセン病患者対す偏見差別拡大した社会的隔離政策勅令としてはフランク王国カール大帝よるものが有名で、その後出現した法治国家でも「患者隔離法」や「患者取締令」によりらい院に強制収容された。 十字軍遠征により、ヨーロッパには多数天然痘患者ハンセン病患者もたらされたと考えられている。西欧では13世紀ピークとして流行し各地ハンセン病隔離施設ができた。この時代、全ヨーロッパで1万9000か所ものハンセン療養所(レプロサリウム)が建設されといわれるハンセン病患者は、健常者対し自分に近づかないよう知らせるためのフラヴェルというカスタネット携帯することとなっていた。一方中世ヨーロッパに暮らす人びとは、同胞苦しみ敬意共感をもって見つめること、病人対す嫌悪感不快感乗り越えて兄弟対するような慈愛を示すことを教えられそのように行動することを求められてもいた。13世紀フランス王ルイ9世は、ロワイヨーモン修道院フランス語版)をたずねるたびに、病毒のために顔がくずれ、人びと恐怖感対象であったレプラ患者食事給仕をみずから行うことを自身課しており、また、フラヴェルを鳴らして自分から遠ざかるよう警告した患者対し水たまりがあるにもかかわらず彼に近づきその手接吻したという逸話のこっている。アッシジのフランチェスコについても、同様の話は多数のこっている。 13世紀には『新約聖書』に範をとった「救らい事業が行われた。ローマ教会対抗し聖者フランチェスコ献身的な救済活動により、1209年組織されフランシスコ会アッシジに「らい」を建設した。そこでは、一つ共同自治社会形成され、「死のミサ」や「仮装埋葬」などの儀式もなく、また外出自由にできた。新約聖書の「マタイ伝16章出ているイエス・キリスト教え行動則った病者への「労わり」に基づく救済活動であったまた、キリストによるハンセン病患者治療奇跡として扱われハンガリー聖女エリーザベトによる救済などや、十字軍時代パレスチナ設置されたらい院でのラザロ看護騎士団患者救済にも影響及ぼしたフランシスコ会人びと日本安土桃山時代にも渡来し日本ハンセン病患者救済行われた14世紀頃になるとヨーロッパでハンセン病患者次第減少した1348年黒死病ペスト)の大流行でラザレットの収容者一掃されることもあり、ヨーロッパ各地のらい院は次々閉鎖された。一方14世紀には弱者迫害傾向強まり不寛容時代到来したとする指摘がある。黒死病蔓延は、ユダヤ人スケープゴートとする迫害事件ヨーロッパじゅうに引き起こしたが、そのなかでユダヤ人ハンセン病患者とは結託しているという噂も流れたハンセン病患者パン利用して泉水汚染する毒をつくったとされ、「羊飼い十字軍」と称する一団施療院襲撃した際、腐敗したパン詰まった見つけたまことしやかに記録されている。南仏では何か所かのコミュニティにおいて、フランス王対しハンセン病患者隔離請願なされたであった

※この「中世ヨーロッパでの流行」の解説は、「ハンセン病の歴史」の解説の一部です。
「中世ヨーロッパでの流行」を含む「ハンセン病の歴史」の記事については、「ハンセン病の歴史」の概要を参照ください。

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