中世ヨーロッパのラテン語・自国語混交詩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/06/09 19:17 UTC 版)
「マカロニック」の記事における「中世ヨーロッパのラテン語・自国語混交詩」の解説
中世の末期、ヨーロッパ中でラテン語と自国語が混交したテキストが現れた。この当時、ラテン語は学者、聖職者、大学の学生では依然として使われていたが、詩人、吟遊詩人、物語作家たちの間では自国語に場を奪われていた。 『カルミナ・ブラーナ』(1230年頃編纂)にはラテン語と中世ドイツ語・フランス語の混交したいくつかの詩が含まれている。クリスマス・キャロルの『諸人声あげ (In Dulci Jubilo)』の第1連もそうで、この歌のオリジナルは1328年頃、ギリシャ語を参考に、ラテン語にドイツ語を混交して作られた。初期の言語の混交した作品はユーモアを狙ったものもあれば、詩的な効果を狙って使われるものもあった。 初期の他の例では、中英語で演じられた「ウェイクフィールド・サイクル」(1460年頃。「神秘劇」参照)がある。その中の第24番目の劇『The Talents』の中で、ポンティウス・ピラトゥスは英語とラテン語の韻文を混交して喋っている。
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