中世ヨーロッパの結婚初夜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/23 13:40 UTC 版)
「結婚初夜」の記事における「中世ヨーロッパの結婚初夜」の解説
西洋においては、旧約聖書の創世記には以下の記述がある。 第2章24. それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。25. 人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。 カトリック教会においては聖書のこれらのことばを特に肉体的交わりの意味であるとし、婚姻の合意のみでは夫婦は一体とならず、夫婦行為が為されてはじめて夫婦は一体となり、婚姻が完成されると解釈している。 中世ヨーロッパの王侯貴族においては政略結婚が一般的であり、初夜性交の不成立によって婚姻の無効を申し立てられることを防ぐため、司祭の立会い看視のもとで性交を行ったり、初夜性交が完遂されたことを国内外に発表したとされる。 当時のカトリックの教義解釈では、一切の避妊をすることなく陰茎を膣に挿入し、膣内射精まで完遂することが条件とされていた。新郎の性的不能もカトリック法においては婚姻の成立の妨げになることから、司祭は性交後の新婦の膣内を職権によって確認し、膣内射精されたことを確かめる必要があった。 しかし(中世日本の武士階級にもいえることであるが)政略結婚においては、新郎が精通を、新婦が初潮を迎えていないような低年齢での結婚もあったため、膣内射精の完遂までとなると困難もあった。 ルイ13世とアンヌ・ドートリッシュの結婚においては、ブルボン朝とハプスブルク家の政略結婚であるが、お互いにまだ14歳であり、初夜性交は完遂されたと発表されたものの、実際には失敗に終わり、その後数年間にわたり未完成婚のままであったとされる(アンヌ・ドートリッシュ#フランス王妃の項を参照)。
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