中世ラテン語文献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 00:59 UTC 版)
中世ラテン語文献には、説教、聖歌、聖人伝、紀行文、歴史、叙事詩、叙情詩といった幅広い作品を含んでいる。 5世紀の前半には偉大なキリスト教著作家であるヒエロニムス (c. 347–420) とヒッポのアウグスティヌス (354–430) の文学的活動を見ており、彼らの文章は中世の神学的思想と、後者の弟子アクィタニアのプロスペル (c. 390-455) のそれに甚大な影響を与えた。5世紀後半と6世紀初頭では、いずれもガリア出身のシドニウス・アポリナリス (c. 430 – 489) とエンノディウス (474–521) が詩作によって有名であり、ウェナンティウス・フォルトゥナトゥス (c. 530–600) も同様である。これはまた伝達の時代でもあった:ローマの貴族ボエティウス (c. 480–524) はアリストテレスの論理学著作の一部を翻訳して西方ラテン世界のためにこれを保存し、影響力ある文学的・哲学的論考『哲学の慰め』を著したし、カッシオドルス (c. 485–585) はスクイッラーチェ近郊のウィウァリウム修道院に重要な図書館を設立し、そこで古代からの多くのテクストが保存されることになった。セビリャのイシドルス (c. 560-636) は彼の時代にまだ入手可能であった科学的知識のすべてを、最初の百科事典と呼びうる『語源』に集成した。 トゥールのグレゴリウス (c. 538–594) はフランク人の歴代の王について長大な歴史を書いた。グレゴリウスはガロ・ローマの貴族階級の出身で、彼のラテン語は古典形からの多くの逸脱を示しており、ガリアにおける古典語教育の重要性の衰退を証言している。同時期に、ラテン語とさらにはギリシア語までもの優れた知識がアイルランドの修道僧文化のなかに保たれており、これはイングランドやヨーロッパ本土に6世紀と7世紀を通して、たとえばイタリア北部のボッビオに修道院を建立したコルンバヌス (543–615) などの伝道によって伝えられた。アイルランドはまたヒベルノ・ラテン語 (Hiberno-Latin, Hisperic Latin) として知られている奇妙な詩文体の誕生の地でもあった。そのほか島の重要な著作家には歴史家ギルダス (c. 500–570) と詩人アルドヘルム (c. 640–709) がいる。ベネディクト・ビスコプ (c. 628–690) はウェアマス゠バロー二重修道院を設立し、そこに彼がローマへの旅から持ち帰った本を提供した。これらは後にベーダ (c. 672–735) が『英国民教会史』を書くさいに用いられることになる。 多くの中世ラテン語の作品が Patrologia Latina, Corpus Scriptorum Ecclesiasticorum Latinorum, Corpus Christianorum の叢書で刊行されている。
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