ルセフ政権下のMST
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/26 06:21 UTC 版)
「土地なし農民運動」の記事における「ルセフ政権下のMST」の解説
2010年、MSTは大統領選挙でジルマ・ルセフ候補の支持を宣言したが、選出された後彼女は運動を制限付きで支持した。2010年11月の全国放送で、ルセフ大統領は土地改革が「人権」の問題、すなわち純粋に人道的な問題であると宣言した。彼女はルーラの首席補佐官として、エコロジカルな土地改革への懸念にもかかわらず、経済成長を支えてきた。キャンペーン時のラジオインタビューの中で、彼女は経済成長がブラジルの土地問題を和らげる可能性があるという控えめな希望を繰り返した。「私たちがやっていることは、土地の不安定さの本当の根拠を取り除くことです。彼らは戦う理由を失っています」。したがって、ある著者は、MSTにとっての「悪くない」選択としてのルセフの支持を挙げている。 土地所有権の統合は引き続いた。 2006年の国勢調査によると、ジニ係数における土地集中度は0.854だったが、軍事政権の初期、1967年には0.836であった。言い換えれば、少数者の手への土地所有権の集中は実際には増加していた。現在のブラジルの経済政策は、とりわけ外国為替の場合、農業輸出によって生じる貿易黒字に依存しているので、「(所有者と)農民との相互関係は農地改革に反対している」。ルーラ政権時代によみがえったブラジルの経済成長は、特に後の参加者の大部分である都市労働者の間で、土地改革に対する要請を大幅に減少させた。最近のインタビューでMSTの国会議員であるJoaquim Pinheiroは、近年の福祉支出や雇用水準の上昇がブラジルの農業活動に「ハッとさせるような」影響を与えているとしたが、しかし、MSTは人々がそのようなプログラムの「人質」になることを恐れていると付け加えた。2006年、MSTによると1990年に12,805人だったのに対して、15,0000人もの家族がキャンプに住んでいた。 国の機関や個人からも運動に対する激しい反対が続いている。 2012年2月16日には、2012年2月16日、アラゴアス州の占拠地から農場の未払いの債務がある80家族が追放された。MST活動家のJanaina Stronzakeによると、MSTは土地所有者がMSTリーダーのヒットリストを持っていると想定している。 事件のように見せかけて、実際いくつかの殺人事件が行なわれた。2014年4月、非政府組織グローバル・ウィットネスによると、環境と土地利用に関する一連の紛争で2002年から2013年に少なくとも448人が死亡し、ブラジルは「土地と環境権利を守る最も危険な場所」とされた。またカトリック・パストール・ランド委員会の報告では、2013年に34件、2012年に36件の土地紛争に関連する殺人事件があったと推定されている。 2012年4月16日、MST活動家のグループは「エルドラド・ド・カラージャスの大虐殺」の追悼のため、定期的に行なわれている「赤い4月」キャンペーン運動の一環として、ブラジリアの農業開発省本部を占領した。 労働者党の大臣ペペ・バルガス(Pepe Vargas)は、政府―MST間の継続的な協議が占領期間中、中断されたと公表した。MST活動家はルセフ政権が土地改革プロジェクトのペースが遅いことに不満をい抱いていた。2011年にはそれ以前の16年間より公式な定住家族が減少した。ルセフ政権の占領に対する反応は土地の売却だったため、広範な非難を巻き起こした。2012年のインタビューでスティディルは、ルセフ連立政権は土地改革に関して政治的に行動することができなかったため、運動は政策の恩恵を受けていなかったと認めた。 ルセフ政権の最初の任期は土地改革にとっては希薄な期間であり、マスメディアはMSTは2期続く労働者党政権によって「飼い慣らされた」だけでなく、安定した経済成長と雇用の拡大によって大衆の支持が減少したとした。 2013年に試みられた占拠はわずか110件だった。2014年も低い数字が続き、移住家族は159家族のみにとどまった。 MSTのコーディネーターJoãoPaulo Rodriguesは連邦政府は資金を調達するため農産物輸出に依存しており、政権が土地改革を進めていないだけでなく、いくつかの事例では後退しているとする。最近の土地改革政策の唯一の進歩は、国家学校給食プログラム(PNAE)や食品ケータリング計画(PAA)などであり、公立学校やその他の政府機関のために小規模農家から食糧を購入することだ。しかしそのようなプログラムは公的資金、助成金などの面では不公平であるブラジルにおける土地改革の唯一のチャンスは、小規模生産者と都市労働者階級の消費者の間の合弁事業の一種であり、単純な土地再配分は失敗することになる。ベネズエラのウゴ・チャベス大統領が「適切な農民」が欲しいという理由で未使用のまま残っていた国有化した土地、7百万ヘクタールを在庫していたように。 2014年11月、ルセフ大統領が再選しその周辺が過激化するなか、ベネズエラのエリアス・ハウア大臣のブラジルへのアポなし電撃訪問はMSTとベネズエラ政府間での農業生態情報の交換合意に繋がった。この合意はブラジル議会保守派に緊張を走らせた。上院議員ロナウド・カイダドは、この合意を指して「社会主義社会を構築することを目指して、外国政府の高位代議員と不法行為者との協定」と表現している。これは「保守はいかなる政治プロセスにおいても草の根の政治参加に敵対している」ことを示唆している。ルセフ大統領は悪名高い女性土地所有者カティア・アブレウ(KátiaAbreu)の第2期目の閣僚として選んだ。MSTと労働者党間で継続する緊張の雪解けは当面迎えられそうにないが、これは逆にひとつの問題から政治・社会的解放のより広い焦点でのMSTの再構成を示唆している。このような傾向は、1990年代以降、進歩的カトリック教会が主催するネットワークで他の様々な草の根組織とのMSTの統合においてみられてきたが、MSTが都市部の「姉」組織であるMTSTとの協力関係を発展させたCMP(Popular Movement of Central Movement)にも及んでいる。
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