ナポレオン3世との闘争とは? わかりやすく解説

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ナポレオン3世との闘争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 19:33 UTC 版)

カール・マルクス」の記事における「ナポレオン3世との闘争」の解説

一方フランスでは1851年12月大統領ルイ・ボナパルト議会対すクーデタ起こし1852年1月大統領権力集中させる新憲法制定し独裁体制樹立した。さらに同年12月には皇帝即位しナポレオン3世称するようになったマルクス彼のクーデタ考察したルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を執筆し、これをアメリカ週刊新聞『レヴォルツィオーン』に寄稿した。この論文は「ヘーゲルはどこかで言った歴史上あらゆる偉大な事実人物二度現れると。彼はこう付け加えるのを忘れた最初悲劇として、二度目茶番として」という有名な冒頭始まりナポレオン3世激し弾劾加えつつ、このクーデタ原因個人冒険的行動抽象的な歴史的発展求め考え退けてフランス階級闘争が何故こうした凡庸な人物権力の座就ける至ったかを分析するナポレオン3世東方問題をめぐってロシア帝国対立深めイギリス首相パーマストン子爵連携して1854年からクリミア戦争開始したマルクスロシアツァーリズム対するこの戦争歓迎した。ところが、自分特派員になっているニューヨーク・トリビューン』は反英親露立場をとり、マルクス困惑させた。マルクスとしては家計的にここと手を切るわけにはいかないのだが、エンゲルスの手紙の中では「同紙が汎スラブ主義反対声明を出すことが是非とも必要だ。でなければ僕らはこの新聞決別するしかなくなるかもしれない」とまで書いている。 一方でマルクス英仏にも疑惑目を向けていた。「偽ボナパルトパーマストン卿がやっている以上この戦争偽善であり、ロシアを本気で倒すつもりなどないことは明らか」というのがマルクス考えだった。マルクスナポレオン3世パーマストン子爵ツァーリロシア皇帝)と秘密協定結んでいると思いこんでいたそれは極端な意見だったが、実際クリミア戦争クリミア半島セヴァストポリ要塞陥落させたところで中途半端に終わったナポレオン3世1859年サルデーニャ王国宰相カミッロ・カヴール連携して北イタリア支配するオーストリア帝国対す戦争開始したイタリア統一戦争)。この戦争思想左右問わずドイツ人困惑させた。言ってみればフランス国内で自由を圧殺する専制君主ナポレオン3世イタリア国民の自由を圧殺する専制君主オーストリア闘い挑んだ」状態だからである。結局大ドイツ主義者(オーストリア中心ドイツ統一志向)がオーストリア連携してポー川北イタリア)を守るべしと主張し小ドイツ主義者(オーストリアドイツから排除してプロイセン中心ドイツ統一志向)はオーストリア敗北を望むようになった。 この戦争めぐってエンゲルス小冊子ポー川ライン川』を執筆しラッサール斡旋プロイセンドゥンカー書店から出版した。この著作の中でエンゲルスは「確かにイタリア統一正しいし、オーストリアポー川北イタリア)を支配しているのは不当だが、今度戦争ナポレオン3世自己の利益、あるいは反独的利益のために介入してきてるのが問題である。ナポレオン3世最終目標ライン川西ドイツ)であり、したがってドイツ人ライン川を守るために軍事上重要なポー川も守らねばならない」といった趣旨主張行いオーストリア戦争遂行支持したマルクスもこの見解支持したマルクス警戒したのはナポレオン3世帝政がこの戦争利用して延命することとフランスロシア連携ドイツ統一脅威及ぼしてくることだった。そのためマルクスプロイセンオーストリア側で参戦しようとしないことに憤り、「中立主張するプロイセン政治家どもは、ライン川左岸フランスへ割譲許したバーゼルの和約歓声送り、またウルムの戦いアウステルリッツの戦いオーストリア敗れた時に両手をこすり合わせていた連中である」と批判した。また「オーストリアは全ドイツの敵であり、プロイセン中立立場を取るべき」と主張するカール・フォークト(ドイツ語版)を「ナポレオン3世から金をもらっている」と批判した。 しかしナポレオン3世批判するあまり、イタリア統一運動妨害しハプスブルク家による民族主義蹂躙支持しているかのように見えマルクスたちの態度にはラッサール疑問感じた。彼は独自にイタリア戦争プロイセン義務Der italienische Krieg und die Aufgabe Preussens)』という小冊子執筆しプロイセン今度戦争参戦すべきではなくナポレオン3世民族自決基づいて南方地図塗り替えるならプロイセン北方シュレースヴィヒホルシュタインに対して同じことをすればよいと訴えたマルクスはこれに激怒しラッサール不信感を抱くようになった

※この「ナポレオン3世との闘争」の解説は、「カール・マルクス」の解説の一部です。
「ナポレオン3世との闘争」を含む「カール・マルクス」の記事については、「カール・マルクス」の概要を参照ください。

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