東方問題をめぐってとは? わかりやすく解説

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東方問題をめぐって

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 15:10 UTC 版)

ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)」の記事における「東方問題をめぐって」の解説

詳細は「東方問題」を参照 この頃エジプトオスマン=トルコ帝国総督ムハンマド・アリー統治下に置かれていた。アリーシリア統治権見返りギリシャ独立戦争トルコ海軍力提供したが、同戦争敗戦したトルコは、シリア総督職をアリー渡そうとしなかった。これに不満を高めたアリーシリア武力トルコから奪い取ることを企図するようになった1831年10月からシリア支配権めぐってエジプト・トルコ戦争開戦しエジプト軍勝利した。 しかしトルコ領土大英帝国にとって「インドの道」であり、失うわけにはいかなかった。またアリー英国綿製品輸入制限するなどイギリス敵対的な姿勢示していたため、彼の覇権シリアにまで拡大すれば、すでにトルコ領内に巨大市場確立していた英国綿製品脅威となる恐れがあった。 1831年の間はパーマストン子爵ベルギー独立問題への対応に忙しかったため、東方問題捨て置いたが、1832年入りトルコ敗色濃厚になると介入開始した同じくロシアオーストリアフランス介入開始しロシアオーストリアトルコに、フランスエジプト好意的態度取ったフランス1830年トルコからアルジェリア奪取していたため、エジプト連携深めて足場築こうとしていた)。 パーマストン子爵は、オーストリア宰相クレメンス・フォン・メッテルニヒ会議の場所をロンドンにするかウィーンにするかをめぐって争いその間1833年7月ロシアフランス調停でトルコ・エジプト間に和平成立。またロシアトルコウンキャル・スケレッシ条約締結させ、ダーダネルス海峡進出認めさせている。これはパーマストン子爵には手痛い外交失態だった。 その後しばらく東方問題ロシア優位のまま沈静化していたが、1838年5月ムハンマド・アリートルコからの独立宣言しトルコ皇帝マフムト2世1839年4月エジプト征伐決定したことで問題再燃した同年6月イブラーヒーム・パシャ率いエジプト軍はニジプの戦いでトルコ軍決定的な勝利を収めた。この敗戦弱気になったトルコ皇帝ムハンマド・アリーシリア総督就任認めるに至ったエジプト増長警戒したパーマストン子爵が再び介入した今回オーストリアメッテルニヒの顔を潰さないようウィーン会議を行うことに同意しつつ、実質的交渉ロンドンで行うことで東方問題主導することとした。親エジプトフランス無視してロシアオーストリアプロイセントルコとともにロンドン条約締結しスーダン以外の占領地放棄ムハンマド・アリー要求した。 しかしアリーフランスの支援期待して強硬姿勢をとったため、パーマストン子爵1840年9月イギリスオーストリアトルコ連合軍ベイルート上陸させ、シリア駐屯イブラーヒーム軍をエジプト本国切り離したアリー期待反してフランス軍動かずエジプト軍総崩れとなって本国撤収していった。アレクサンドリア沖にも英国艦隊出現する及んでアリーもついに諦めてロンドン条約受け入れることを表明した1841年2月13日トルコ皇帝詔勅によってエジプトスーダントルコ宗主権下でムハンマド・アリー家が総督職を世襲して統治することが認められたが、一方で将官任免軍艦製造宗主国トルコ許可が必要とされ、またイギリス不平等条約結んで自由貿易受け入れることとなった

※この「東方問題をめぐって」の解説は、「ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)」の解説の一部です。
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