ドルジェ・シュグデン論争
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「ニュー・カダンパ・トラディション」の記事における「ドルジェ・シュグデン論争」の解説
詳細は「シュクデン」を参照 NKTの真髄となっている修練には、ツォンカパのグルヨーガ〔上師喩伽〕と並んで、イダム〔守護尊〕としてのドルジェ・シュクデンの修練があり、この修練は、ゲシェ・ケルサン・ギャツォのグルである、キャブジェ・ティジャン・ドルジェチャン・リンポチェによって彼に伝授された。よって、NKTの修練者にとってのドルジェ・シュクデンとは、ツォンカパであり、マンジュシュリー〔文殊菩薩〕であり、これらと同じ地位とされている。 よって、ダライラマ14世が、チベット亡命政府において、この修練を『禁止』したことに対して論戦が沸き起こった事は、なんら驚かされる出来事ではない。そして、インドにおいて禁止された、ドルジェ・シュクデンの修練を復活させるための結束行為として、何百というNKTのメンバーが、ウェスタン・シュグデン・ソサエティ(Western Shugden Society) に参加し、ダライラマの”明白な禁止命令”に抵抗している。 ゲシェ・ケルサンは、この”政治的”な”禁止命令” を、『正当な修練に対しての、理にかなわない、余計な干渉』と考えており、 彼の弟子たちもまた、ダライラマの行動を、馬鹿げた問題だと考えている。 一方、ダライラマは、シュクデンの修練を望まない理由として、以下の3つをあげている。 1.チベット仏教が、心霊崇拝となり堕落してしまう危険性: チベット仏教は元来、古代より引き継がれた権威のある偉大なインドの寺院にして大学、ナーランダー僧院から進化したものであり、この伝統は、仏教の完全な形であると、しばしばダライラマ14世が描写しているところである。それはナーガルージュナ〔龍樹〕、アサンガ〔無著〕、ヴァスバンドゥ〔世親〕、ディグナーガ〔陳那〕やダルマキールティ〔法称〕といった、偉大な仏教の師たちの哲学として、神霊的なものとして、そして精神的洞察として発展して、仏陀の元来の伝統を具現化している。8世紀はじめにチベットで仏教を定着させた偉大な哲学者であり、論理学者であったシャーンタラクシタは、哲学的な探求と批判的な分析はとても重要な特質であるとしている。 一方、シュクデン(ShugdenまたはDolgyal)は、元をたどれば一介の土地神が護法尊とされたものである。護法尊とは、仏法やそれを学ぶ人々を、欲望や誘惑、さらには悪魔などの仏敵から守る存在であり、人よりは霊的に上位であるものの、仏や菩薩、天部にもおよばない低級存在である。シュクデン修練の問題点は、その護法尊にすぎないシュクデンを、仏そのものより重要なものとして昇格させようとしていることである。もしこの傾向が見直されないまま引き継がれ、人々がカルトのような修練に魅了された場合の危険性は、豊かな伝統としてのチベット仏教が、ただ単に、心霊をなだめるものへと衰退して行く事であろう。 2.非派閥主義に対しての障害: ダライラマ14世がしばしば述べる重要な声明として、異教徒間の理解と調和がある。その中の彼の努力の1つとして、非派閥主義をチベット仏教の各宗派(流派)に推奨している。ダライラマ14世は特にダライラマ5世と、ダライラマ13世の方針に従おうとしている。これは、全てのチベット仏教の宗派(流派)において、チベットの伝統にダメージを与えうる派閥主義を、お互いに起こさせないための行動であり、最適な保護手段である。シュクデン崇拝と派閥主義という観点において、シュクデンの修練は、チベットの仏教の伝統において、派閥性がない精神を促進することに対する基本的な障害である。 3.特にチベット社会の健全な幸福にとっての不適切性: シュクデンを供養する事は、チベットの人々の今ある困難な状況を考えると特に厄介である。原典的な、そして、歴史的な調査により、シュクデンがダライラマ5世とその政府に対する敵対心から現れたと論証されている。17世紀のチベットにおいて、霊的、世俗的なリーダーとして崇められていたダライラマ5世は、個人的にシュクデンを「間違った方向に導く邪悪な霊であり、人々にとって、そして、チベット政府にとって有害なものである」と非難していた。ダライラマ13世と、当時崇拝されていたチベットの高僧たちも、シュクデンの修練に対して強く反対していた。よって、今のチベットの状況、特に政治的・軍事的に抑圧されつづけ、共同体としての団結が最重要課題であるチベットの人民のことを考えると、議論の多いシュクデンの修練は適切ではない。 この3つの理由により、ダライラマ14世は、シュグデンの修練問題に対して、今一度注意深く考えられるようにと支持者達に強く勧めている。また彼は、仏教リーダーとして、チベット人民を愛する特別な思いから、この種の有害な心霊崇拝に対しての意見を発言するのは彼の責務であると声明している。ダライラマ14世のアドバイスに従うのか従わないのか、それは個人個人の問題であるが、ダライラマ14世はこのシュクデン修練に強い拒否感をもっているため、シュクデンの霊をなだめるものは、ダライラマ14世の宗教的な教えには参加しないように要求しており、これは、ダライラマ14世をグルとしている人たちへの、伝統的な師と弟子の関係の確立ということである。としている。#* Collection of Advice regarding Shugden ちなみに、この論争が大きく表面化したことにより、シュクデン修練がNKTにとっての主な修練だと思われがちだが、これに対しては『New Kadampa Truth』にて、以下のように説明している。 ”他の仏教の伝統と同じように、NKTの主となる修練は、三宝、つまり、ブッダ(仏)、ダルマ(法)、サンガ(僧)への帰依である。他の大乗仏教の伝統と同じように、NKTの主な修練は、菩提心を起こす事である。NKTの修行者は、ツォンカパの経典に従った密教(タントラ)を修練しているという理由から、菩提心が悟りとして成就するために、グル(精神的指導者)、イダム( Yidam 、密教行者の個々人を守る本尊)、護法尊(上述。守護神)を頼りにしている。これら3つは、ツォンカパが説明しているように、三宝の現れである。我々のメインとなる護法は、智恵のブッダであるシュクデンである。我々はまた、パルデン・ラモ〔吉祥天〕、マハーカーラ〔大黒天〕、キンカラ〔兢羯娑薬叉〕、カーラルーパ(文殊菩薩の化身)といった護法善神も頼りにしている。ツォンカパの純粋な伝統と、特にガンデン寺からの口伝による系統(the Ganden oral lineage)を支えようとする者達にとっては、シュクデンに頼ることはとても重要であるが、シュクデンの修練がNKTの主な修行ではない。”と答えている。 このようなことがあり、欧米のマスメディアでは、NKTとダライラマとの関係や、シュグデン論争との関わり合いにより、NKTに対して”議論の多い宗教組織”という反応をしているが、ロバート・ブルック(Robert Bluck、British Buddhismを著した、英国の作家)は、『NKTの修練者たちの確固とした自信が、外から冷淡に観察しているものにとっては独断的に見られがちだが、バランスのとれたアプローチが必要。』と述べている。
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