ソマリア大統領
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「アリ・マフディ・ムハンマド」の記事における「ソマリア大統領」の解説
統一ソマリ会議は首都モガディシュに侵攻し、1991年1月にバーレ大統領は国外に逃亡する。モガディシュに入ったアリは、1月28日にソマリア第4代大統領就任を宣言した。1991年7月に行われたジブチ会議において、2年間の暫定大統領の立場を承認された。これによりジブチ、エジプト、イタリア、サウジアラビアなどからも承認を受けたが、ソマリアの他の軍閥の多くからは認められなかった。アイディードもまたこの宣言を認めず、11月17日、アリ派とアイディード派の間に戦闘が勃発した。 国連は仲介のため、まず1992年2月にアリとアイディードをニューヨークに招き、その結果両者は3月に停戦協定に合意した。これを機として、4月に国際連合ソマリア活動(UNOSOM)が開始された。しかしアイディードがUNOSOMに協力的ではなかったため、アメリカ軍主体の多国籍軍統一タスクフォース(英語版)(UNITAF)が編成され、12月9日から「希望回復作戦」と呼ぶ作戦を開始した。その結果、12月28日にアリ派とアイディード派の休戦が成立。しかし結局戦闘は収まらず、第二次国際連合ソマリア活動も功を奏しなかった。1993年10月3日のモガディシュの戦闘をきっかけに国連の活動は衰退を見せる。まず、1994年3月にアメリカ軍がソマリアから撤退。さらに、残りの国連軍も1995年1月から3月にかけて撤退した。1995年6月にアイディードはソマリア大統領就任を宣言したが、アリとの抗争も依然として続いた。そのアイディードも翌年に死亡すると、ソマリアはさらなる無秩序状態に陥った。以後、アイディードの息子らが大統領就任を宣言するが、これも実効性がなかった。 2000年7月、ジブチにおいてソマリアの暫定大統領選挙が行われた。20人以上の候補者の中から、1次予選を通過した4人の内の1人にアリは選ばれたが、この時点で立候補を辞退した。2次予選でアリはアブディカシム・サラ・ハッサンに投票し、結果ハッサンが暫定大統領に選出された。この政府は暫定国民政府と呼ばれたが、結局ほとんど実権を持つことができなかった。 2002年11月にソマリ和解会議(英語版)が隣国ケニアで開かれたが、交渉は決裂し、参加していたアリも途中で帰国した。 2004年、以前の暫定国民政府を取り込む形で暫定連邦政府が発足。アリは国民和解委員会(National Reconciliation Committee)の議長に選出された。2007年9月17日には、サウジアラビアのジッダにおいて、国民和解会議の和平協定に署名した。 2021年3月10日、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によりナイロビにて死去。82歳没。
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ソマリア大統領
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「モハメッド・ファッラ・アイディード」の記事における「ソマリア大統領」の解説
アイディードは1995年6月、ソマリア大統領就任を宣言する。しかしながら、アイディード政権は国際社会からは認められなかった。しかも、ソマリアに割拠する軍閥に対する影響力はほとんどなく、首都モガディシュの支配でさえ完全ではなかった。とりわけアリ元大統領と支配力を争うことになった。 アイディードは1996年7月末、対立派との抗争の中で、銃弾を受けて1週間経たずに死亡した。8月2日に埋葬された。
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ソマリア大統領
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「ハッサン・シェイク・モハムド」の記事における「ソマリア大統領」の解説
2012年9月10日、ソマリア議会は大統領選挙において、モハムドを大統領に選出した。ソマリアで、国際的に認められた大統領が誕生したのは、21年ぶりのことである。 大統領選挙の1次投票では前暫定大統領のシェイク・シャリフ・シェイク・アフマドが64票で1位、モハムドは60票で2位、暫定首相のアブディウェリ・モハメド・アリが32票で3位だった。2次投票ではモハムド190票、アフマド79票となり、モハムドが過半数票を得て勝利した。 モハムドは就任演説で、ソマリアの民衆、暫定議会、他の候補者に感謝の意を述べている。また、ソマリア内戦終結後のソマリア再建を行い、国際社会との連携を深めるとの声明も出している。一方、前大統領のアフメドは、モハムドの勝利に祝辞を述べ、協力を表明した。首相のアリは、この選挙がソマリア新時代の幕開けであると宣言した。また、プントランド(ソマリア内の事実上の独立地域で最大勢力の一つ)の大統領アブドゥルラフマン・モハムード・ファロレは、モハムド、ソマリア国民、その他ソマリア暫定政権終了のロードマップに携わった全ての人に対し、感謝の意を述べている。 モハムドの大統領就任は、国際社会にも認められている。国際連合のソマリア担当特使オーガスティン・マヒガ(英語版)は、この選挙はソマリアの平和と繁栄に向けての大きな前進であることを世界に示した、と述べた。また、アフリカ連合のソマリア部会も、選挙の実施を歓迎し、新大統領を支持する旨を表明した。イギリスの首相デーヴィッド・キャメロンやEUの外務長官キャサリン・アシュトンも、選挙の実施は重要な業績であるとの祝辞を述べている。アメリカ合衆国連邦政府もモハムドの大統領選出を祝うプレスリリースを発表し、この選挙がソマリアの人々にとって重要な一歩であり、ソマリア政府に協力する旨を述べた。アラブ首長国連邦の大統領ハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーンも祝辞を送っている。日本の外務省も、モハムドの大統領選出に歓迎の意を述べている。 なお、ソマリア中南部で活動する最大のイスラーム武装勢力アル・シャバブは、新大統領選出を快く思っておらず、大統領選の2日後に、モハムドが宿泊するホテルに自爆テロを仕掛け、モハムドは無事だったものの犯人を含む2名が死亡している。 2014年3月に来日。 2017年2月8日に行われた大統領選挙に立候補したが、落選した(モハメド・アブドゥライ・モハメドが当選)。 2022年5月15日に連邦議会で執行された大統領選挙(英語版)に立候補し、第1回目投票で52票、第2回目投票にて110票、決選投票では214票を獲得し、110票にとどまった現職のモハメド・アブドゥライ・モハメドを下し当選した。同年5月23日に正式に大統領就任。6月15日、新首相に元ジュバランド選挙管理委員長のハムザ・アブディ・バーレを指名した。
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