ソマリア政府の統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:47 UTC 版)
2011年10月にはケニア軍のソマリア侵攻があり、交戦地帯となった。ソマリア政府もケニア軍の動きを支持し、アル・シャハブ側は徐々に劣勢となり、2012年9月29日にはキスマヨから完全撤退している。その後は多少混乱があったが、ソマリア政府軍のキスマヨ統治が確定した。そして、この方面を担当したソマリア政府側の軍閥ラスカンボニ軍の指導者マドベがキスマヨの政治指導者となった。 12月27日にキスマヨに政府要人が訪れ、ラスカンボニ軍指導者であり、キスマヨの政治指導者でもある、マドベらが応対している。ただしマドベは、今後はキスマヨを中心とするソマリア南部をジュバランドとして高度な自治地域にするよう要望しており、ソマリア中央と南部とで、再び亀裂が生じることも懸念されている。
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