ソマリア時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:03 UTC 版)
「ソマリランドの行政区画」の記事における「ソマリア時代」の解説
「ソマリアの行政区画」を参照 1960年7月1日、ソマリランド国はイタリア領ソマリランドと合邦し、改めてソマリア共和国として独立した。これ以降旧イギリス領は「北部地域」、首都モガディシュのある旧イタリア領は「南部地域」と呼ばれる。1962年6月14日、旧イギリス領の6地区は2州(Region)に再編された。なお旧イタリア領を構成していた6地区はそのまま州へ移行している。 北東部州(またはブラオ州):ブラオ、エリガボ、ラス・アノドの各地区が合併。人口は33万人(1961年推定)、面積は12.8万平方キロメートル。 北西部州(またはハルゲイサ州):ベルベラ、ボラマ、ハルゲイサの各地区が合併。人口は27万人(同上)、面積は4.8万平方キロメートル。 続いて1963年8月14日の「地方行政および地方議会選挙法」が制定され、地区(District、イギリス領時代のものとは異なる)評議会が設置された。1967年2月8日に州および地区の組織を定めた法令では、州 - 地区の2層構造が確立された。 1969年10月21日、モハメド・シアド・バーレ少将による軍事クーデター(英語版)が発生。政権を奪取したバーレは、1972年6月8日の「地方政府改革法」で州や地区といったあらゆる地方自治体を政府の直轄下に置き、1977年2月3日の法令で一党独裁の社会主義に基づいた地方支配体制を樹立した。またバーレ政権は1982年までに全国の州を再編し、北部地域の2州は北部ガルベード州、トゲアー州、サナーグ州に分割された。1984年6月、北部ガルベード州からアウダル州が、ヌガール州(旧イタリア領)からスール州が分離した(ただしこの2州の追加は実施されなかったとする説が存在する)。オガデン戦争(1977年 - 1988年)では当時の人口と同じ数の難民(推定で130万人)が北部地域に押し寄せ、統治機構は麻痺状態にあったという。
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