ソマリア暫定連邦政府時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:36 UTC 版)
「ガーバハレ」の記事における「ソマリア暫定連邦政府時代」の解説
2005年11月、ガーバハレで治安改善の兆しが見えたため、国際連合人道問題調整事務(OCHA)が予備調査を実施した。ただしゲド地域全体はまだ混乱期にあった。 2006年1月、ガーバハレとエルワクの道路が通行可能となった。 2007年9月にはガーバハレでゲド州の知事の選定が行われており、政府中央から推薦されたフセイン・シェイハ・アブディ(Hussein Sheikh Abdi)を抑えてアダン・イブラヒム・オヘルシ(Adan Ibrahim O'Hersi)が就任している。 2008年7月、イスラーム武装勢力アル・シャバブがガーバハレを支配した。2009年1月初頭にエチオピア軍がアル・シャバブから一時ガーバハレを奪い取ったものの、その数日後、ガーバハレ市長のアフメド・アブダレ・マガン(Ahmed Abdalle Magan)がイスラーム武装勢力に殺害されている。エチオピアはソマリア内戦に過度に介入する意思が無く、間もなく撤退して結局はアル・シャバブの支配下となっている。2010年1月、国際連合世界食糧計画(WFP)はアル・シャバブ支配地域からの一時撤退を表明、ガーバハレなど6都市から事務所を引き上げている。 2011年4月末には暫定政府寄りの軍閥アル・スンナ・ワル・ジャマーがアル・シャバブからガーバハレを奪い、その後しばらく戦闘が行われた。 2012年3月、アル・シャバブがガーバハレを攻撃し、住民5000人が避難。 2012年4月、ガーバハレのレストランで爆発があり、3人が死亡。アル・シャバブの犯行が疑われる。 2012年9月、ガーバハレをアル・シャバブが重火器で攻撃。
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