治安改善
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 13:34 UTC 版)
「ルドルフ・ジュリアーニ」の記事における「治安改善」の解説
1993年に再び市長選挙に立候補し、前回敗れた現職のディンキンズを破って当選を果たす。 治安の回復を目標に掲げ、ニューヨーク市警察のトップにウィリアム・ブラットンを据えて「割れ窓理論」を用いて犯罪率の減少に取り組んだ。RICO法に基づき、マフィアのトップを重点的に取り締まった。検事時代と同じように、まずイタリアン・マフィアをターゲットにしてトップらを逮捕した。その後、その代わりに台頭する中国・ベトナム・カンボジア・イランなどのマフィア対策を各国別に練り、頂上作戦を展開して大きな成果を上げた。警官を大幅に増やし、マフィアの温床となるセックスビジネスの撲滅作戦に乗り出すなど様々な手を打ち、ニューヨークの安全化に務めた。汚職警官を次々と告発・追放するなど、一時はマフィアより汚いとされていた警官の規律を正した。各辻には警官が立つようになり、ハーレムの名物や出店も一掃される。風紀を正すため所々で火を噴いていたタクシーは新型車両に交換した。 実際に犯罪率を半減させて全国水準より低く抑えることに成功したことから、その目標は一般には達成されたと評価されている。これによりニューヨーク市は全米でも最も安全な大都市となったとされ、ニューヨーク市を浄化した市長として名声を博した。なおギネスブックにおいても「最も多く犯罪率を削減させた市長」としてノミネートされている。 一方で検挙率の向上が市警察においては重要な課題となり、特にマイノリティ層を中心として市民的権利が警察により時に侵害されたとの批判もある。有名なケースとしては、白人警察官らが武器を携帯していなかったアフリカ系移民のアマドゥ・ディアロを指名手配犯と誤認して41発もの弾丸を撃ち込み射殺した事件で、市警察の暴力や人種差別に対して聖職者や芸能界などの著名人も参加する大規模な抗議デモに発展した。その強権的な手法に批判的な市民や人権団体などから、名前のルドルフとかけて「ジュリアーニはアドルフ・ヒトラーだ」、イタリア系アメリカ人のジュリアーニの苗字をファシズム理論を構築した独裁者ベニート・ムッソリーニに絡めて「マンハッタンのムッソリーニ」などの声が上がった。
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