アル・シャバブの支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:47 UTC 版)
イスラム法廷会議はその後いくつかの勢力に分裂し、中でも若手が外国の過激グループと手を組んで作ったアル・シャバブ、次いで旧指導部が主体のヒズブル・イスラムが台頭した。両勢力は2008年5月にキスマヨ付近にまで迫り、キスマヨ地元勢力から、キスマヨ港の利益30%を提供させることに成功した。間もなくキスマヨ地元勢力とイスラーム武装勢力は対立がはっきりし、8月下旬にはアル・シャバブがキスマヨを占拠し、キスマヨはアル・シャバブ3名、ヒズブル・イスラム3名、地元勢力1名で支配されることになった。2009年8月になるとアル・シャバブとヒズブル・イスラムの対立が深刻となる。特にヒズブル・イスラムの幹部ハッサン・トゥルキーとの対立が激しく、アル・シャバブは10月にキスマヨの主要地区を占拠する。結局2010年初頭にトゥルキーがヒズブル・イスラムを離脱してアル・シャバブへの参加を表明し、キスマヨ情勢は一応安定した。 キスマヨは、アル・シャバブによる過激な政策でしばしば話題になっている。2008年9月には歴史的建造物であるキリスト教教会を破壊してモスクに建て替え、12月にはあるイスラーム教徒の墓をイスラーム的ではないとして破壊している。同じく12月には音楽を流していたのが好ましくないとして地元ラジオ局の一つを閉鎖させている。2009年12月にはAK-47を商品としたクイズ大会が開かれたことが日本でも大きく報じられている。2010年11月には少年少女に軍事訓練を施していると伝えられている。
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