アル・シャバブとの確執
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 00:22 UTC 版)
「ヒズブル・イスラム」の記事における「アル・シャバブとの確執」の解説
6月16日、アウェイス議長がソマリア政府と妥協する考えがあると報じられた(以後もたびたび同様の報道がなされ、アウェイス師はその度に否定している)。6月19日、アル・シャバブが自爆テロを行ったとの報道を受けて、アウェイス議長はこれがアル・シャバブの犯行だとは言わなかったもののこのテロを非難する声明を発表した。 6月20日、首都モガディシュでアル・シャバブなどの武装勢力が政府組織を猛攻し、政府のアフマド大統領は外国軍に支援を求める声明を発表した。これを受けてアウェイス議長は21日に反対の意を表明し、ヒズブル・イスラムが全ての外国勢力と戦う旨を改めて表明した。7月にはエジプトがソマリア政府とアウェイス議長の仲裁を試みている。7月11日、首都モガディシュでヒズブル・イスラム他イスラーム武装勢力とソマリア政府の戦いとなり、多くの死者が出た。 7月14日、フランスの安全保障顧問2名が首都モガディシュのホテルからヒズブル・イスラムに誘拐され、16日にその人質はアル・シャバブに強奪された。それでも24日、アウェイス議長はヒズブル・イスラムとアル・シャバブとの合同を模索している旨を発表している。 キスマヨはイスラーム武装勢力の拠点であり、ヒズブル・イスラムとアル・シャバブは協力関係にあったが、アル・シャバブは思想信条に関して妥協を許さない集団であり、2009年9月上旬にアル・シャバブ系のラジオ・アル・アンデュラス以外のラジオ局を焼き払ってしまい、緊張が高まった。2009年9月下旬、ヒズブル・イスラムとアル・シャバブは互いに宣戦を布告した。2009年10月上旬にはキスマヨ近郊でアル・シャバブとの戦闘になり、少なくとも15名が死亡したと伝えられている。14日には首都モガディシュの占領地域の一部をアル・シャバブに明け渡し、活動の重点をモガディシュ北方のヒーラーン州に移している。一連の戦闘によって、ヒズブル・イスラムの勢力圏はヒーラーン州およびケニア国境地帯のゲド州、そしてモガディシュ近郊に残った“前線地帯”だけとなった。
※この「アル・シャバブとの確執」の解説は、「ヒズブル・イスラム」の解説の一部です。
「アル・シャバブとの確執」を含む「ヒズブル・イスラム」の記事については、「ヒズブル・イスラム」の概要を参照ください。
- アル・シャバブとの確執のページへのリンク