ソマリア内戦後 - 密輸拠点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 18:26 UTC 版)
「カウ (ソマリア)」の記事における「ソマリア内戦後 - 密輸拠点」の解説
1991年、バーレ政権が崩壊すると、イスラーム武装勢力アル・イッティハード・アル・イスラミア(英語版)(AIAI)がソマリア南部の港町キスマヨで立ち上がったが、バーレ政権を倒したアイディード軍閥に敗れ、カウに拠点を移した。AIAIはそこからソマリア各地、特にソマリア南部に勢力を広げた。1992年6月にはソマリア北東の最大勢力ソマリ救済民主戦線(英語版)(プントランドの前身)を攻撃し、一時はボサソ港も占領したが、すぐに反撃されてカウの西にあるラス・コレーまで撤退した。 1999年、ボサソ警察はカウやマレロ(英語版)とイエメンとの間で移民、麻薬、弾薬の不法輸送が行われているとして取り締まりを強化し、弾薬などを積んだボート2隻を押収した。 2006年の報道によれば、カウはイエメンへの人身売買の輸出拠点とされていた。そのためプントランド警察は取り締まりを強化している。2012年にも似た報道がされている。 2008年3月の国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が作成した地図には、カウがボサソ、エル・アヨ、マレロ(英語版)、Shimbiroと共に密輸拠点として挙げられている。
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