ジブチ会議とは? わかりやすく解説

ジブチ会議

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 15:31 UTC 版)

ソマリア暫定国民政府」の記事における「ジブチ会議」の解説

1999年3月から4月にかけて、ジブチ大統領イスマイル・オマル・ゲレ主張により、政府間開発機構IGAD主催ソマリア和平会議開催場所がエチオピアからジブチ移されることとなったジブチ選ばれたのは、ジブチソマリ語話者が多いためだった。これが、ソマリア和平目指し13回目国際会議となり、名称はソマリア国民和平会議Somalia National Peace Conference, SNPC)とされた。この会議は後に「ジブチ会議」と呼ばれることとなった1999年6月15日モガディシュの元市長で、プントランド内務長官だったハッサン・アブシレ・ファラー(英語版)が和平会議議長就任したプントランド大統領アブドゥラヒ・ユスフがこの会議への参加禁止していたため、4月内務長官辞任して参加だった。 初回会議2000年4月20日から5月5日まで行われ5月15日には8名の技術委員選出された。委員長はモハメド・アブディ・モハメド(英語版)、事務局長はザカリア・モハメド・ハジ・アブディ(英語版)、広報担当ジャマ・アリ・ジャマ担当した和平会議には、ソマリア各地の有力団体主として軍閥)の代表も招かれた。主な参加者不参加者次の通り開催後判明した情報も含む)。ソマリア国内最大勢力であるソマリランドプントランドいずれも参加しなかった。 名前所属氏族肖像和平会議にも暫定国民政府にも参加 アリ・マフディ・ムハンマド ソマリアの第4代大統領 ハウィエ アブディカシム・サラ・ハッサン 内戦前の政府閣僚 ハウィエ モハメド・アフラ・カンヤレ(英語版統一ソマリ会議USCハウィエ バレ・アダン・シレ・ヒラーレ(英語版ジュバ渓谷連合JVAダロッド 和平会議には参加した暫定国民政府不参加 ハサン・シャティガドゥド(英語版ラハンウェイン抵抗軍RRAラハンウェイン アブディラフマン・トゥール ソマリランド初代大統領 イサック モハメド・モルガン ソマリ愛国運動英語版)(SPMダロッド 和平会議不参加 イブラヒム・エガル ソマリランド大統領 イサック アブドゥラヒ・ユスフ プントランド大統領 ダロッド フセイン・アイディード ソマリ国民同盟英語版)(SNAハウィエ オマール・ハジ・マサラー(英語版ソマリア国民戦線英語版)(SNFダロッド ムサ・スディ・ヤラホウ(英語版ソマリ救国同盟SSAハウィエ オスマン・アリ・アト(英語版ソマリ国民同盟英語版)(SNA)の分派 ハウィエ 6月28日ソマリランドはジブチ会議の決定従わない旨を発表したまた、暫定国民政府目標が、連邦制というよりも中央集権制近かったため、協力しようとしない団体多かった発表され暫定国民憲章が、軍閥支配地域一部認め一部認めないといった矛盾があったことが原因とも言われている。

※この「ジブチ会議」の解説は、「ソマリア暫定国民政府」の解説の一部です。
「ジブチ会議」を含む「ソマリア暫定国民政府」の記事については、「ソマリア暫定国民政府」の概要を参照ください。

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