ジブチ会議
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「ソマリア暫定国民政府」の記事における「ジブチ会議」の解説
1999年3月から4月にかけて、ジブチ大統領のイスマイル・オマル・ゲレの主張により、政府間開発機構(IGAD)主催のソマリア和平会議の開催場所がエチオピアからジブチに移されることとなった。ジブチが選ばれたのは、ジブチにソマリ語話者が多いためだった。これが、ソマリア和平を目指した13回目の国際会議となり、名称はソマリア国民和平会議(Somalia National Peace Conference, SNPC)とされた。この会議は後に「ジブチ会議」と呼ばれることとなった。 1999年6月15日、モガディシュの元市長で、プントランドの内務長官だったハッサン・アブシレ・ファラー(英語版)が和平会議の議長に就任した。プントランド大統領のアブドゥラヒ・ユスフがこの会議への参加を禁止していたため、4月に内務長官を辞任しての参加だった。 初回の会議は2000年4月20日から5月5日まで行われ、5月15日には8名の技術委員が選出された。委員長はモハメド・アブディ・モハメド(英語版)、事務局長はザカリア・モハメド・ハジ・アブディ(英語版)、広報担当はジャマ・アリ・ジャマが担当した。 和平会議には、ソマリア各地の有力団体(主として軍閥)の代表も招かれた。主な参加者、不参加者は次の通り(開催後に判明した情報も含む)。ソマリア国内の最大勢力であるソマリランド、プントランドのいずれも参加しなかった。 名前所属氏族肖像和平会議にも暫定国民政府にも参加 アリ・マフディ・ムハンマド ソマリアの第4代大統領 ハウィエ アブディカシム・サラ・ハッサン 内戦前の政府閣僚 ハウィエ モハメド・アフラ・カンヤレ(英語版) 統一ソマリ会議(USC) ハウィエ バレ・アダン・シレ・ヒラーレ(英語版) ジュバ渓谷連合(JVA) ダロッド 和平会議には参加したが暫定国民政府に不参加 ハサン・シャティガドゥド(英語版) ラハンウェイン抵抗軍(RRA) ラハンウェイン アブディラフマン・トゥール ソマリランドの初代大統領 イサック モハメド・モルガン ソマリ愛国運動(英語版)(SPM) ダロッド 和平会議に不参加 イブラヒム・エガル ソマリランド大統領 イサック アブドゥラヒ・ユスフ プントランド大統領 ダロッド フセイン・アイディード ソマリ国民同盟(英語版)(SNA) ハウィエ オマール・ハジ・マサラー(英語版) ソマリア国民戦線(英語版)(SNF) ダロッド ムサ・スディ・ヤラホウ(英語版) ソマリ救国同盟(SSA) ハウィエ オスマン・アリ・アト(英語版) ソマリ国民同盟(英語版)(SNA)の分派 ハウィエ 6月28日、ソマリランドはジブチ会議の決定に従わない旨を発表した。また、暫定国民政府の目標が、連邦制というよりも中央集権制に近かったため、協力しようとしない団体も多かった。発表された暫定国民憲章が、軍閥支配地域の一部を認め、一部を認めないといった矛盾があったことが原因とも言われている。
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