統一ソマリ会議
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統一ソマリ会議(United Somali Congress, USC)は、ソマリア内戦初期に有力だった軍閥の一つ。ソマリ族の5大氏族の一つハウィエが1987年に設立した。軍事的才能に優れた将軍モハメッド・ファッラ・アイディードに率いられて、第3代大統領のモハメド・シアド・バーレの追放に成功するが、その後は分裂。分裂後の闘争がソマリアの首都モガディシュで行われたため、ソマリア内戦泥沼化の大きな原因の一つとなった。
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- 1 統一ソマリ会議とは
- 2 統一ソマリ会議の概要
- 3 アリ派の暫定国民政府への統合
統一ソマリ会議
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「アリ・マフディ・ムハンマド」の記事における「統一ソマリ会議」の解説
1970年代のソマリアでは、第3代大統領のモハメド・シアド・バーレがオガデン戦争に失敗し、その後クーデター未遂とされる事件が数件起こった。これらに与したとされる人物の多くが逮捕され、一部は海外に逃亡した。 1980年代の終わりになると、バーレ体制はかなりのほころびが目立つようになり、国中で抵抗運動が発生した。中でも、ハウィエ氏族が主体の軍閥・統一ソマリ会議 (USC) は地盤がモガディシュに近かったこともあり、大きな影響力を持った。 統一ソマリ会議は元々イタリアのローマでアリ・モハメド・ワーディグリーが設立した団体で、アリは有力メンバーの一人に過ぎなかった。途中から、インドに滞在していたモハメッド・ファッラ・アイディードが参加し、統一ソマリ会議軍事部門のトップに立った。1990年に統一ソマリ会議幹部のイスマエル・ジュマレ・オッソブレが死去すると、アリとアイディードは対立した。対立の原因には、ハウィエの出身支族が異なること(アリはアブガル支族、アイディードはハバル・ギディル(英語版)支族)や立場の違い(事務畑のアリと軍事畑のアイディード)があった。
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