バーレ大統領追放
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 00:11 UTC 版)
「モハメッド・ファッラ・アイディード」の記事における「バーレ大統領追放」の解説
ソマリアはオガデン戦争で破れ、旱魃などの天災も重なった。さらにバーレ大統領は「大ソマリア主義」を事実上撤回、自分の氏族であるダロッドを優遇するようになり、反対派を逮捕し始めた。そのため、以前からあった氏族同士の対立が鮮明になってしまった。各氏族の集まりは次第に軍閥へと変わっていった。 1989年、アイディードの属する氏族ハウィエは、軍閥統一ソマリ会議(USC)を設立し、アイディードはUSC軍事部門のトップに立った。 バーレ政権末期、バーレ大統領は反抗する各氏族を力で制圧しようとし、各地に軍を送った。そのため、ハウィエをはじめとするソマリアの各氏族は次々と武装蜂起し、バーレ大統領の統治が及ぶのは事実上首都モガディシュ周辺だけとなった。1991年12月、アイディードはUSC軍を率いてモガディシュに侵攻し、翌1992年1月にバーレ大統領はモガディシュから逃亡した。これらの過程はソマリア革命(英語版)とも呼ばれるが、ソマリア内戦の始まりでもあった。
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