バーレ政権下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 03:05 UTC 版)
「モハメド・サイド・ヘルシ・モルガン」の記事における「バーレ政権下」の解説
ソマリ族では氏族が重要な意味を持つ。モルガンはダロッド氏族のマジェルテーン支族出身だった。 モルガンはイタリアと米国で軍事訓練を受けた。1980年頃、モガディシュ地区で司令官を務めた。当時のソマリアは第3代大統領バーレの支配下にあり、モルガンはバーレの親衛隊であるレッドベレーの司令官を務めた。1982年にはソマリア北東部でマジェルテーン支族中心の軍閥、ソマリ救済民主戦線(英語版) (SSDF) の反乱鎮圧を担当した。 1986年1月、モルガンはバーレの娘と結婚した。 1986年から88年にかけて、現在のソマリランド地方の軍司令官を担当した。後で判明したところによると、この時期、バーレ大統領の指示により、ソマリランド地方で地元氏族であるイサックが大量虐殺される事件(イサック虐殺(英語版))があり、その犠牲者は20万人とも言われるが、この虐殺に関するモルガンからバーレに対する手紙が残されており、モルガンの積極的な関与が疑われている。このためモルガンは後に「ハルゲイサの肉屋 (Butcher of Hargeisa)」との陰口を叩かれることとなる。 1990年9月には国防相兼国家元首代理に就任した。1990 年11月25日にソマリア国家軍の総司令官に任命された。
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