統一センター・マサル派との合同
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「プラチャンダ」の記事における「統一センター・マサル派との合同」の解説
プラチャンダは2009年1月12日、ネパール共産党毛沢東主義派と小規模な共産主義地下政党・「ネパール共産党統一センター・マサル派」(エカタケンドラ・マサル。指導者はプラカシュ(ナラヤン・カジ・シュレスタ))およびその公然組織・人民戦線ネパールとの合同を断行、新政党ネパール共産党統一毛沢東主義派を結成した。これに伴い、党内序列の変化がおきている。
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統一センター・マサル派との合同
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「ネパール共産党 (毛沢東主義派中央)」の記事における「統一センター・マサル派との合同」の解説
政権獲得後、皮肉なことにプラチャンダ議長の党内での求心力は著しく低下した。身内を重用するなどの腐敗的人事、現実路線に抵抗するキラン(モハン・バイディヤ)ら強硬派の突き上げなどによるものである。こうしたなか、プラチャンダは2009年1月12日、毛沢東派と小規模な共産主義地下政党・「ネパール共産党統一センター・マサル派」(エカタケンドラ・マサル。指導者はプラカーシュ)およびその公然組織・人民戦線ネパールとの合同を断行、「ネパール共産党統一毛沢東主義派」を結成した。これにより、キランら強硬派の勢力は弱まるのではないかという見方もあるが、党内の不満が高まる傾向も見られると伝えられている。 2月11日、プラチャンダ内閣の元閣僚で統一毛沢東主義派の政治局員であるマトリカ・プラサド・ヤーダブがこの合同に反対し、離党し、ネパール共産党毛沢東主義派の再建を宣言した。これに共鳴する動きもでている。
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