アイディード将軍の台頭と反アイディード勢力の結集・分裂
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「モハメド・サイド・ヘルシ・モルガン」の記事における「アイディード将軍の台頭と反アイディード勢力の結集・分裂」の解説
その後、SNFを中心とするモルガンら旧バーレ派は、かつて敵だったソマリ愛国運動 (SPM) に参加する。SNFの他、かつてSMPと対立していたマジェルテーン支族中心の軍閥、ソマリ救済民主戦線(英語版) (SSDF) がSPMに加わった。この時からソマリ愛国運動は、首都を占拠している統一ソマリ会議を敵とすることになる。といっても、ソマリ愛国運動は多分に名目的な団体で、実質は弱小軍閥の集まりであった。 ソマリ愛国運動 (SPM) は、モガディシュの混乱の際に刑務所から釈放されたアデン・アブドゥラヒ・ヌール(英語版)を議長とし、アフメド・オマル・ジェスを軍司令官に選出した。いずれもオガデン氏族出身だった。モルガンには警備長官という職名が与えられた。ところが、これがきっかけでアデンとジェスの間に対立が生じることになった。一方でモルガンは、マレハン氏族主体のSNFと距離を置くようになり、次第にSPMの中で力を増す。 1991年6月、ソマリ愛国運動は統一ソマリ会議からキスマヨとブラバを奪還するが、首都モガディシュの奪還には失敗する。 一方で、首都モガディシュを占領した統一ソマリ会議も、ハウィエの支族であるアブガル(英語版)支族とハバル・ギディル(英語版)支族に分裂した。1991年8月には早くも両者の戦闘が起こり、軍事的天才モハメッド・ファッラ・アイディード将軍率いるハバル・ギディル支族が勝利して、アブガル支族は劣勢となった。 1991年12月、モルガンとアデン議長が結託してジェス軍司令官の勢力を排除しようとしたが、ジェスは何と宿敵アイディード将軍と結託して逆にモルガンとアデンの勢力をソマリ愛国運動の本拠地キスマヨから追い出した。アイディードと対立していた前大統領のバーレも1992年4月にケニアに逃亡した。
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