ザックスの最終演説について
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「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の記事における「ザックスの最終演説について」の解説
「気をつけるがいい、不吉な攻撃の手が迫っている。ドイツの国も民も散り散りになり異国の虚仮おどしに屈すれば王侯はたちまち民心を見失い異国の腐臭ただようがらくたをドイツの地に植え付けるであろう。栄えあるドイツのマイスターに受け継がれぬ限りドイツの真正な芸術も人々の記憶から失われよう。だからこそ、言っておこう。ドイツのマイスターを敬うのだ!そうすれば、心ある人々をとらえることができる。そしてマイスターの仕事を思う心があれば神聖ローマ帝国は煙と消えようともドイツの神聖な芸術は いつまでも変わることなく残るであろう!」 第3幕第5場、「ザックスの最終演説」後半部分(3,074行 -3,089行) 「このニュルンベルクをめざすユンカーは数あれどあなたのように愛に生き、歌一筋城も館もうちやって、とは珍しい。愛の獲物に飢えた騎士方を相手にこちらは衆を頼まねばならぬことも多かった。ひとが集まれば、つまらぬことですぐ喧嘩になるのは世のならい。いろんな組合の仲間どうしが繰り出してけしからぬ振る舞いに及んだこともある。(せんだっても、どこぞの小路で見かけたものだ)だが、いつだって連中を正気に引き戻したのは一目置かれるマイスタージンガーの親方衆。その水も漏らさぬ結束は多少のことでは、びくともしない。皆で大切に護ってきた宝はあなたの孫子の代まで貴重な貯えとなるはず。よき慣わしや美風も、大方は廃れ跡かたもなく崩れて、煙と消える。戦いをやめよ!かすかに残った伝統の息吹を砲弾や硝煙の力で集め直すことはできぬ。 (ドイツのマイスターを敬うのだ!)」 「最終演説」削除部分(現行版の3,074行 -3,082行に相当) 史実のハンス・ザックスの詩には「(カトリックの聖職者たちは)たとえドイツが滅ぼうとも、かえって好都合。自分たちの権力が失われることがなければ(と考えている)」という一節がある。これは、トリエント公会議(1545年 - 1563年)に抗して書かれたもので、本作でのザックスの最終演説「神聖ローマ帝国が煙と消えようとも」という表現と一部共通する。 しかし、この部分は実際には、ワーグナーがドレスデン時代から所持し、愛読した『コッタ版シラー全集』第2巻に収められているフリードリヒ・フォン・シラーの詩の断片「ドイツの偉大さ」(1801年)によるものと考えられている。シラーの詩との関連箇所は2箇所で、次のとおり。 そして、たとえ帝国は滅ぶとも、ドイツの尊厳は揺るぎもしない。 たとえ戦火のなかにドイツの帝国が崩壊しようとも、ドイツの偉大さは不滅である。 第3幕最後のザックスの演説(現行スコアで3,050行 - 3,089行)の成立過程は大きく3段階ある。 第1散文稿(A)(1845年)に後から書き込まれた部分。現行スコアでは末尾の3,086行 - 3,089行に当たり、「神聖ローマ帝国が煙と消えようとも/ドイツの神聖な芸術は残るであろう」と、覇権を超越した芸術の永遠性を称えている。 韻文浄書稿(E)(1862年)で書き加えられた部分。現行スコアでは最初の3,050行 - 3,073行の「マイスターをないがしろにせず、」と3,083行 - 3,085行の「ドイツのマイスターを敬うのだ!」の二つの部分で、伝統の尊重、マイスターへの尊敬の必要を説く。また、下に述べる3,074行 - 3,082行の箇所には、現行と異なる23行が書かれており、「戦いをやめよ!/かすかに残った伝説の息吹を/砲弾や硝煙の力で集め直すことはできぬ」という反戦的な言葉で結んでいた。 現行スコア(1867年)で書き換えられた部分。3,074行 - 3,082行の間にあった韻文台本の23行を削除し、「気をつけるがいい、不吉な攻撃の手が迫っている」と、政治・軍事・文化に及ぶ排外主義を鼓舞する内容となった。 最後の現行スコアで書き換えられた部分には、1860年代にフランスに抗してドイツ統一国家を樹立しようというナショナリズムの高揚の反映がある。このころワーグナーは、普墺戦争(1866年)に勝利したプロイセンを「フランス文明を顔色なからしめる新しい力を歴史の内に樹立する可能性」(『ドイツの芸術とドイツの政治』(1867年))と認めており、親プロイセン派のクロートヴィヒ・ツー・ホーエンローエ=シリングスフュルストの首相就任をルートヴィヒ2世に働きかけていた可能性もある。 しかし、一方でワーグナーは自著『ドイツ的とはなにか?』(1865年)で、神聖ローマ帝国の幻影に「ドイツの栄光」を託し、強大なドイツ国家の復興を夢見るような国粋主義を否定し、「(ドイツ)民族が救われたところで、ドイツ精神が世界から消滅するようなことがあれば、われわれにとっても世界にとっても悲劇」だと述べていた。このことは、ザックスの演説が特定の政治体制や国家的な枠組みを意図してはおらず、ドイツ語圏が育んだ芸術や文化、風土を愛する宣言であるという解釈に繋がる。したがって、ザックスの最終演説は、ワーグナー自身が抱えていた矛盾の反映である。#作曲の経緯でも述べたとおり、この演説がドラマの本筋とは無関係との判断から、一時的にせよ取りやめようとしていたとすれば、作曲者本人にもその自覚があったと考えられる。 後年、ワーグナーによって頂点に達したニュルンベルク賛美、芸術至上主義的崇拝を転換し、ニュルンベルクを国粋主義・国家社会主義のメッカとしたのが20世紀のナチスである。ナチス・ドイツによってニュルンベルクはナチ党党大会の開催地とされ、ユダヤ人排斥のための法律が「ニュルンベルク法」と称された。これに対し、第二次世界大戦で連合国側は徹底的な爆撃で応じ、ニュルンベルクは文字どおりの焦土となった。
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