ドレスデン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 04:19 UTC 版)
「ハインリヒ・フォン・クライスト」の記事における「ドレスデン時代」の解説
クライストは収容所から解放された後ベルリンを経由して1807年8月の終わりにドレスデンに着いた。ここで彼はさまざまな人物と知り合った。シラーの友人クリスティアン・ゴットフリート・ケルナー、ルートヴィヒ・ティーク、カスパー・ダーフィト・フリードリヒ、歴史哲学者アーダム・ミュラー、フリードリヒ・クリストフ・ダールマンなどである。クライストはアーダム・ミュラーと共に1808年1月『フェーブス』を創刊した。この創刊号に「悲劇の断片:ペンテジレーア」として『ペンテジレーア』の一部が発表されたのだが、この号を受け取ったゲーテは返信の中で作品に対する驚きを表明しながらも理解できなかったことを伝えている。 1808年12月スペインにおける反ナポレオン蜂起やプロイセンの占領状態、オーストリアにおける解放闘争の開始などから影響を受けてクライストは『ヘルマンの戦い』を完成させた。(発表は死後の1821年)1809年5月には高揚する反ナポレオン機運に希望を抱き、ダールマンと共に、ナポレオンが敗れた数日後のアスパーンを通ってプラハに赴き、ここでオーストリア愛国主義団体と交流しながら『ゲルマニア』という名の週刊新聞発行を企画している。この新聞はドイツ解放運動の機関紙となるはずであったが、オーストリアの無条件降伏のせいでこの企画は実現しなかった。この新聞には彼のいわゆる政治的著作『この戦争はどうなるか』『ドイツ人のためのスペインを手本とした大人も子供も使える教理問答』『フランスジャーナリズムの教科書』、風刺詩にして頌歌『ゲルマニア女神がその子に向かって』などが発表されるはずであった。 1809年11月から一ヶ月彼はフランクフルト・アン・デア・オーダーに帰省したが、その後ベルリンに帰ってからは死に至るまでベルリンで過ごした。
※この「ドレスデン時代」の解説は、「ハインリヒ・フォン・クライスト」の解説の一部です。
「ドレスデン時代」を含む「ハインリヒ・フォン・クライスト」の記事については、「ハインリヒ・フォン・クライスト」の概要を参照ください。
ドレスデン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 00:20 UTC 版)
「ルートヴィヒ・ティーク」の記事における「ドレスデン時代」の解説
1819年から1841年までティークはドレスデンに住んだ。ドレスデンの俗流文学のつまらなさとティークの精神性は対照的だったが、それでもほとんど毎晩催される全国的に有名な彼のドラマティックな朗読会には、彼の芸術に関する見解を指導的なものとして認める一団の人々が集まり、ティークはそれに満足していた。彼は1820年代を通じて王立劇場文芸部員として強い影響力を持ったが、一方では俗物の反対派による陰謀やデマなどで悩まされることも多かった。詩人・作家としてのティークはドレスデン移住以降は専らノヴェレ(短編小説)のスタイルを採用している。彼の『ノヴェレン』(1852-1854年)全集ではその語りの能力の素晴らしさが発揮されている。 ティークはこのノヴェレというジャンルを創始した作家の一人だが、彼はこの形式において叙述という要素を全く重要しておらず、ストーリーはある意図やイメージを描写するための手段に過ぎない。これらノヴェレの中で最も重要なものに『絵画』『旅人』『山の老人』『田舎の社会』『婚約』『音楽にまつわる苦悩と歓喜』『人生の流れ』などが挙げられる。 歴史的ノヴェレでは『ギリシア人皇帝』『詩人の死』、そして完成しなかったものの『ツェヴェネの反乱』が非常に重要な作品として挙げられる。これらのノヴェレ全てにおいて、簡潔で優雅な描写だけでなく多様で生き生きした典型的な登場人物と詩想の深さが陶酔を誘う。散文的ノヴェレにおいてもティークは円熟の筆致を見せてくれる。その最後の大作『ヴィットーリア・アコロンボーナ』(1840年)は新フランスロマン主義の影響の下に成立したが、その色彩豊かな描写にもかかわらず苦悩の印象をより強く与えられるのである。 編集者としての彼は1826年のアウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルによるシェイクスピアのドイツ語訳、ハインリヒ・フォン・クライストの遺稿(1821年)全集(1826年)、ヨーハン・ゴットフリート・シュナーベルの『フェルゼンブルク島』(1827年)、レンツ全集(1828年)、『シェークスピア前派』(1823-1829年)などの校訂・編集を行い、また劇団文芸員としての批評は『文芸部員通信』(1826年/1852年)としてまとめられた。
※この「ドレスデン時代」の解説は、「ルートヴィヒ・ティーク」の解説の一部です。
「ドレスデン時代」を含む「ルートヴィヒ・ティーク」の記事については、「ルートヴィヒ・ティーク」の概要を参照ください。
- ドレスデン時代のページへのリンク