オルレアン・コレクションの成立
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「オルレアン・コレクション」の記事における「オルレアン・コレクションの成立」の解説
クリスティーナのコレクションを含むオルレアン・コレクションは、オルレアン公のパリでの居城だったパレ・ロワイヤルに収蔵され、主要な場所に飾られた。1727年の目録によれば、オルレアン・コレクションのうち15点の絵画のみがフィリップ2世の父オルレアン公フィリップ1世からの相続品となっている。この目録にある絵画が全てフィリップ2世の所有とは限らないが、これらのコレクションが1727年に一般公開されたことは間違いない。1701年にフィリップ2世は父フィリップ1世の最初の妻アンリエッタ・アンヌから小規模ではあるが優れた美術コレクションを相続し、1702年には男色家でもあった父の愛人のフィリップ・ド・ロレーヌのコレクションも相続している。イギリス人美術史家ジェラルド・ライトリンガーによれば、フィリップ2世が積極的に美術品収集を開始したのは1715年からで、この年は叔父であるフランス王ルイ14世が死去した年であり、フィリップ2世が後継のフランス王ルイ15世の摂政に就任した年だった。またフィリップ2世は、スペイン王フェリペ5世からフランス大使グラモン公に贈られた「ポエジア」に由来するティツィアーノ作の非常に重要な絵画3点をグラモン公から贈与されている。 クリスティーナのコレクションをフィリップ2世が入手したのはフィリップ2世の最晩年のことで、その他の絵画の大部分はフランス国内で購入したものだった。フランスで購入した作品にはセバスティアーノ・デル・ピオンボの『ラザロの蘇生』などがあり、フランス以外では1716年に枢機卿ジェローム・デュボワのコレクションから購入したニコラ・プッサン作の秘蹟を描いた7点の連作 (en:Seven Sacraments) などがある。デュボワのほかにも枢機卿リシュリュー、マザランの遺産相続人からジャン=バティスト・コルベールのコレクション由来の重要な絵画群を入手しており、さらにノアイユ公、グラモン公、ヴァンドーム公をはじめ、主要なフランスのコレクターから美術品を購入したという記録もある。 オルレアン・コレクションは、パレ・ロワイヤルの西に並んで伸びた大きな特別室、蔵書棟に飾られ、小規模なオランダ絵画、フランドル絵画はより小さな部屋に飾られていた。当時のパレ・ロワイヤルはフィリップ1世存命中の時代のままの調度品、磁器、壁飾りのままになっており、1765年にパレ・ロワイヤルを訪れた人の記録によれば「この宮殿以上に、高価で美術的価値が高い調度品などで飾り立てられた場所は想像できない」といわれるほどだった。絵画の配置は変更されることもあり、円天井の天窓から降り注ぐ薄暗い太陽光のもとでの展示だったが、当時の美術愛好家からは「光り輝くギャラリー (Galerie à la Lanterne)」と賞賛されていた。18世紀を通じてオルレアン・コレクションはもっとも目にしやすい絵画コレクションで、多くの観客がパレ・ロワイヤルを訪れてオルレアン・コレクションを鑑賞している。1727年に発行され、1737年に再版された目録『パレ・ロワイヤルの絵画解説 (Description des Tableaux du Palais Royal)』もパレ・ロワイヤルを訪れる人々に大いに利用された。この目録には絵画495点が記載されており、後にさらにコレクションに追加された絵画もあれば、コレクションから手放された絵画もある オルレアン・コレクションは画家の流派や描かれているモチーフなどとは関係なく、並べて壁にかけたときに展示したときにもっとも効果的であると思われる順番で展示されていた。画家の流派に関係なく並べるという展示方法は、ピエール・クロザが自身のパリの邸宅でのコレクション展示方法と同じものだった。ただし、猥雑なモチーフを描いた絵画と宗教画が一緒に展示されるこの展示方法は、観客から非難されることも少なくなかった。 オルレアン・コレクションは盛期ルネサンス、後期ルネサンスのイタリア絵画、特にヴェネツィア派の作品で特に重要なコレクションだった。スペイン王フェリペ2世の依頼でティツィアーノが制作した、「ポエジア」と呼ばれる一連の古代神話連作絵画が少なくとも5点含まれている。現在エディンバラのスコットランド国立美術館が所蔵する『ディアナとアクタイオン』、『ディアナとカリスト』、ロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵する『アクタイオンの死』、ウォレス・コレクションが所蔵する『ペルセウスとアンドロメダ』、ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館が所蔵する『エウロペの略奪』である。パオロ・ヴェロネーゼが描いた神話をモチーフにした連作4点は、現在ケンブリッジのフィッツウィリアム美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館、そしてフリック・コレクションに2点と各都市に分散して所蔵されている。同じくヴェロネーゼが描いた別の連作4点『愛の寓意』はロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵しており、中央展示室にヴェロネーゼのほかの作品やティツィアーノの「ポエジア」3点、コレッジョの作品とともに飾られている。 オルレアン・コレクションには28点のティツィアーノ(現在ではティツィアーノの工房作と見なされている絵画も多いが、ティツィアーノの絵画の中でも傑作と見なされる絵画もある)、12点のラファエロ、16点のヴェロネーゼ、12点のティントレット、25点のアンニーバレ・カラッチ、7点のルドヴィコ・カラッチ、3点のコレッジョ(他に現在ではコレッジョの作品とは考えられていない10点もある)、3点のカラヴァッジョなどの作品が収蔵されていた。現在では作者が別人だと考えられている作品で、当時でも作者が疑われていたものとして、ミケランジェロ2点、レオナルド・ダ・ヴィンチ3点がある。ジョヴァンニ・ベリーニを除けば、15世紀以前の作品はごくわずかだった。 目録に記載されているフランス絵画は比較的少ないが、その中ではニコラ・プッサンによる一連の秘蹟を描いた7点の連作と5点の作品が有名である。その他のフランス絵画として、現在ではメトロポリタン美術館が所蔵するフィリップ・ド・シャンパーニュの絵画、同じく現在はロンドンの陸海軍クラブ (en:Naval and Military Club) のクラブハウスやナショナル・ギャラリーが所蔵するウスターシュ・ル・シュウール (en:Eustache Le Sueur) がある。フランドル絵画では、ルーベンスの習作12点(現在は世界中に散逸している)を含む絵画19点、ヴァン・ダイクの絵画10点、ダヴィッド・テニールスの絵画9点がある。オランダ絵画ではレンブラント・ファン・レインの絵画6点、カスパル・ネッチェルの絵画7点、フランス・ファン・ミーリスの絵画3点があるが、当時に比べると現在の評価は高くない作品群となっている。その他のオランダ絵画にはヘラルト・ドウの絵画3点、フィリプス・ウーウェルマンの絵画4点もあった。 フィリップ2世の息子ルイは、宗教的理由と軽い神経症から、オルレアン・コレクションの中でも特に有名な絵画の一つであるコレッジョの『レダと白鳥』をナイフで切りつけたことがある。さらにルイは首席宮廷画家シャルル=アントワーヌ・ コワペル (en:Charles-Antoine Coypel) に対して、神話をモチーフとしたコレッジョの傑作3点を切り裂くように命じたが、裂片は保存されており後に修復された。これらコレッジョの作品は後に、『レダと白鳥』はプロイセンのフリードリヒ大王が入手し、『ダナエ』はヴェネツィアへと渡ったが盗難に遭い、最終的にはリヴォルノでイギリス領事が購入している。『ユピテルとイオ』はおそらく複製であり、ベルリンのカイザー・フリードリヒ美術館に所蔵されたことが知られているが、現在は行方不明となっている。フランドル絵画の何点かは1727年7月にパリで開かれたオークションで売却されている。 1785年初めにオルレアン・コレクションの絵画をもとにした版画が予約生産のかたちで順次出版され、フランス革命時のマクシミリアン・ロベスピエールらによる恐怖政治下で取り止めになり、オルレアン・コレクションの絵画自体が売却される事態になるまでに352点の版画が制作された。ロベスピエールの処刑によって恐怖政治が終了し、第一帝政に移行した1806年には書物の形で版画集が出版された。オルレアン・コレクションの絵画の版画はこれ以前からも多く制作されており、1720年代のパリの中流階級ではプッサンの秘蹟を描いた7点の連作の版画がとくに人気があった。
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