オルレアンの乙女・ジャンヌ
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「ジャルジョーの戦い」の記事における「オルレアンの乙女・ジャンヌ」の解説
百年戦争終盤の1428年末の時点で、イングランドとその同盟勢力のブルゴーニュ派はロワール川以北のフランスをほぼ制圧し、ロワール沿いの戦略拠点のいくつかも掌握していた。川沿いのフランス側最後の抵抗拠点であるオルレアンも、同年10月からイングランド軍の包囲下にあった。もしオルレアンが陥落すれば、王太子(ドーファン)のシャルルがかろうじて治めるフランス南部が侵攻にさらされるのは明白であった。 ここで戦況を一変させたのが、後に「オルレアンの乙女」と呼ばれた救国の英雄ジャンヌ・ダルクだった。1429年3月、ジャンヌがシノンの仮王宮に到着し、王太子シャルルと面会を果たした。王太子の求めでポワチエに赴き、聖職者によって有害でない旨の裁定が下されると、ジャンヌには甲冑と旗などが与えられた。ジャンヌはフランス軍と合流し、オルレアンを包囲するイングランド軍の砦のいくつかがジャンヌが主導する攻撃によって落とされると、5月9日には半年ぶりにイングランド軍の包囲が解かれた。
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