イタリア平和条約とは? わかりやすく解説

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イタリアとの平和条約

(イタリア平和条約 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/14 23:41 UTC 版)

イタリアとの平和条約
Treaty of Peace with Italy
平和条約締結後のフランスとイタリアの国境
署名1947年2月10日
署名場所 フランス共和国パリ
発効1947年9月15日
署名国 イタリア
フランス共和国
ギリシャ王国
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国
アルバニア社会主義人民共和国
アメリカ合衆国
イギリス
ソビエト連邦
寄託者フランス政府
言語フランス語(第一言語)
英語
イタリア語

イタリアとの平和条約(イタリアとのへいわじょうやく、: Treaty of Peace with Italy)は、1947年2月10日イタリア連合国との間で締結された第二次世界大戦の講和条約の一つで、1947年のパリ条約に含まれる。同年9月15日に発効した[1]

領土変更

A frontier marker on the 1947 – settled Franco-Italian border in the Col de la Lombarde

イタリア領ソマリランドは1949年にイタリアの信託統治領になるまでイギリスが統治し、1960年にイギリス領ソマリランドと合併されソマリアになった。

戦争賠償

第74条より、イタリアには以下の通りに戦争賠償を課せられた。

  • ユーゴスラビア:1億2500万ドル
  • ギリシャ:1億500万ドル
  • ソビエト連邦:1億ドル
  • エチオピア:2500万ドル
  • アルバニア:500万ドル

賠償の金額については、金本位制によるUSドルで計算され(1946年7月1日時点。金1オンス=35ドル)、7年で商品とサービスで支払われることになった。

軍事条項

第47条と第48条より、フランスとイタリアの国境とユーゴスラビアとイタリアの国境沿いにあったすべての要塞の取り壊しを義務付けられ、第51条より、30キロメートル以上の射程を持つ核兵器ミサイル、火器や人間魚雷を含む非接触式の機雷魚雷の所有、建造、実験を禁じられた。

軍事力の規模が制限された。第54条より重戦車中戦車200両までとされ、第55条より黒シャツ隊イタリア社会共和国陸軍英語版の元士官と元下士官は、イタリア軍の士官と下士官になることを禁じられた(イタリアの裁判所で無罪が証明された者は除く)。

イタリア海軍もまた削減された。第56条と第57条より、戦艦の一部がソビエト連邦、アメリカ合衆国、イギリス、フランスに割譲された。すべての潜水艦が沈没させられ(第58条)、新たに戦艦、潜水艦、空母を入手することが禁じられた(第59条)。海軍の人員が25,000人に制限され(第60条)、陸軍では185,000人にカラビニエリ65,000人を合わせて25万人に制限された(第61条)。空軍は、戦闘機と偵察機200機と輸送機、訓練機、航空救難機、連絡機150機に限定され、爆撃機の所有と運用が禁じられ(第64条)、人員は25,000人に制限された(第65条)。

軍事力の制限のほとんどは、1949年にイタリアがNATOの原加盟国になったことで緩和された。

政治条項

第17条より、イタリアにおいてファシズムの組織化が禁じられた(政治、軍事、半軍事のいずれも)。

付属書

付属書より、南チロルにおいてドイツ系住民の文化的な自治権が認められた。

脚注

  1. ^ Grant, John P.; J. Craig Barker, eds (2006). International Criminal Law Deskbook. Routledge: Cavendish Publishing. p. 130. ISBN 9781859419793. https://books.google.com/books?id=SzwrG74gwzUC&q=treaty+of+peace+with+italy+1947&pg=PA130 
  2. ^ United Nations Treaty Series 1956; No. 3297 

関連項目

外部リンク


イタリア平和条約

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パリ条約 (1947年)」の記事における「イタリア平和条約」の解説

詳細は「イタリアとの平和条約」を参照 条約前文ではイタリア王国軍とレジスタンス共同参戦国として対ドイツ戦有力な働きをしたと言及されているが、イタリア扱いはあくまで「旧敵国であったイタリア領土の内、ブリガ(英語版)とテンダフランス名・タンド)といったアルプス国境地域一部フランス領となったまた、戦前獲得していたヴェネツィア・ジュリア大部分ダルマチア地方プーラゾラフィウーメ(現リエカ)、アドリア海島嶼ユーゴスラビア割譲された。またトリエステトリエステ自由地域となったロドス島はじめとするドデカネス諸島イタリア領エーゲ海諸島)はギリシャ領となった。さらに、サセーノ島(英語版に関する請求権放棄しアルバニア領と認めた。 また海外植民地および中国における租界権利をすべて失うこととされた。ただし、最終的な帰属画定行われず中でもイタリア領ソマリランドイギリス占領下置かれたものの1950年12月イタリア信託統治地域となり、1960年ソマリア独立まで続いた。 またソビエト連邦1億ドルユーゴスラビア1億2500ドルギリシャ1億500ドルエチオピア2500ドルアルバニア500ドル賠償を行うこととなった西側連合国賠償請求を行わなかったものの、被害受けた連合国国民資産に対してリラ建てで弁償することが定められた。しかし連合国経済復興機関民間援助により、賠償支払い負担大きく緩和された。 条約締結翌日イタリアアルチーデ・デ・ガスペリ首相は、「国土ひしめく4500万人国民を養うことができない国家生命」に毒を盛った、これはムッソリーニと同じ動機であるとして条約激しく非難している。

※この「イタリア平和条約」の解説は、「パリ条約 (1947年)」の解説の一部です。
「イタリア平和条約」を含む「パリ条約 (1947年)」の記事については、「パリ条約 (1947年)」の概要を参照ください。

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