イタリア帰国前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 00:46 UTC 版)
「エマヌエーレ・フィリベルト・ディ・サヴォイア (1972-)」の記事における「イタリア帰国前」の解説
フィリベルトは父からイタリア王太子の称号であるピエモンテ公に加え、かつてフランス皇帝およびイタリア王の地位にあったナポレオンが創始したヴェネツィア公(イタリア語版)という2つの爵位を叙任された。父を支持するカリニャーノ派の当主後継者として十分な教育を受け、ル・ロゼを経てジュネーヴ大学で建築を専攻していた。一時は建築学者としての道を考えたとされるが、卒業後は銀行家として投資業などに従事した。 サヴォイア家当主の入国を禁じる法律によって、一族の帰国は許されていなかったが、イタリア国内ではメディアを通じてしばしば姿を見せる機会があり、国内での一般的な知名度は低くない。サッカー好きであることから、イタリア国内のサッカー事情についての番組でゲストに呼ばれることも多い。ファッショナブルな姿でメディアの取材に応えるなど、亡命王族というイメージから想像される堅い雰囲気とはやや異なるライフスタイルで知られている。私生活面でも、同じ亡命貴族ではなくフランスの女優クロティルド・クローと交際して結婚した。2人の間には現在までに、ヴィットーリア(英語版)とルイーザ(英語版)の2女が生まれている。 実業家としては自らの投資会社を持ち、収益の一部を「ピエモンテ=ヴェネツィア公財団」を通じた文化保護活動や、ギニアでの学校建設などの慈善事業に寄付している。文化保護についてはスイス時代を共にした祖母マリーア・ジョゼ・デル・ベルジョからの影響であるという。王位請求者としても活発に行動しており、亡命生活を綴った『祖国を夢見て』(Sognando L'Italia)という伝記を執筆したり、イタリア国内の王党派への働きかけなどを行っている。他に航空機パイロットとしての免許を取得しており、ヘリコプター操縦の資格も保有している。
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