アメリカ合衆国における感謝祭の歴史
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「感謝祭」の記事における「アメリカ合衆国における感謝祭の歴史」の解説
もともと、ニューイングランドを開拓したピューリタンの間には、共同体の節目節目に聖職者の宣言によって不定期に感謝祭を開く習慣があった。一部のピューリタンの教義の中に、クリスマスや復活祭を含む、ローマ教会の祝日を全て廃止しようとする考え方があったからである。現在の感謝祭の起源として一般に信じられているのは、イギリスから現在のマサチューセッツ州のプリマスに宗教的自由を求めて移住して来たピルグリム・ファーザーズと呼ばれる入植者の一団が、本国から持ってきた種子などで農耕を始めたところ、現地の土壌に合わず飢饉による餓死者まで出したところ、アメリカ先住民の助けにより危機を脱したので、その感謝を表す目的で1621年に先住民を招いて収穫を祝う宴会を開いたことである。現場にいたウィリアム・ブラッドフォードやエドワード・ウィンズロー(英語版)らの私記によれば、宴会は3日間続き、入植者53人と先住民90人が参加したとある。1623年7月30日には、最初の正式な感謝祭が開かれた。 1620年に彼らがアメリカ大陸に来た時点で、ニューイングランド周辺にいたインディアンのうち約90%は病気により死亡していた。その理由としては、1492年にコロンブスがアメリカにやってきた際に、当時アメリカ大陸内では存在しなかったヨーロッパから運ばれたインフルエンザ菌、その他の病原体に対する抵抗力が無かったということがある[要出典]。その結果、1620年にピルグリムファーザーズがプリマス植民地にやってきた際には、無人状態となったインディアン達の住居や日用品を使うことで厳しい冬を過ごす事ができたという。インディアン達が彼らに食料や毛皮のジャケットなどを提供、両者の間に友好関係があったとされるという事実は確認されているとは言いがたい[要出典]。この異説によると、事実とは異なった話が一般になっている背景には、マサチューセッツ植民地の統治者ウィンスロップがアメリカにはインディアンとの間の戦争や虐殺、略奪という暗い歴史しか無いので、「明るい話を広めよう」と使われたとも言われている[要出典]。白人の間で現在広く伝えられている“感謝祭”の歴史は史実とするには議論の余地がある[要出典]。 感謝祭の数日間は、1621年と1623年のプリマスでの巡礼者の休日、1631年のボストンでのピューリタンの休日など、「最初の感謝祭」として識別されたニューイングランドの初期の歴史で開催された。ライデンアメリカ巡礼者博物館の館長である歴史家のジェレミー・バングスによると巡礼者たちは、ライデンに滞在している間、1574年にライデン包囲戦を救済するための感謝祭の年次奉仕を見て影響を受けた可能性がある。現在10月3日祭と呼ばれている、1617年のライデンの秋の感謝祭は、巡礼者のアメリカへの移住計画を加速させたと思われる宗派間の混乱の機会であった。 その後マサチューセッツ州で、1623年に植民地の感謝祭と祝宴を計画したウィリアム・ブラッドフォード(英語版)などの市民指導者によって宗教的な感謝祭が宣言された。ブラッドフォードは、1630年代後半のピクォート戦争での勝利に続いて、「戦いに勝利したことを神に感謝し、血なまぐさい勝利」を祝う感謝祭の宣言を発表した。毎年恒例の収穫祭を開催する慣行は、1660年代後半までニューイングランドでは定期的な出来事にはならなかった。 感謝祭の宣言は、1682年までは主にニューイングランドの教会指導者によって行われ、その後、アメリカ独立戦争後まで州と教会の指導者の両方によって行われた。革命期には、政治的影響が感謝祭の宣言の発行に影響を及ぼした。王室の知事、逆にジョン・ハンコック、ジョージ・ワシントン将軍、大陸会議などの愛国者の指導者によってさまざまな宣言がなされ、それぞれが彼らの目的に有利な出来事を神に感謝した。 その後、ジョージ・ワシントン、ジョン・アダムズ、ジェームズ・マディソンら初期の大統領の時代には、感謝祭は大統領宣言の形で不定期に祝われた。アメリカ合衆国大統領として、ジョージ・ワシントンは、1789年11月26日を記念して、アメリカで最初の全国的な感謝祭を宣言した。 19世紀の初頭になると、感謝祭は州知事の権限で宣言され、州によって祝われる日が異なるという状態が続いた。これを連邦国家の祝日として定着させたのは、第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンであった。父と息子が南軍・北軍に別れて互いに戦うほど悲惨であった南北戦争の終結後、彼は国内の融和を図り国家としての団結を取り戻すために感謝祭を連邦休日と定め、家族の集いを奨励した。この試みは成功し、感謝祭は単なる「大型連休」以上に、遠く離れた家族・親戚が再会して絆を深め合うアメリカの伝統として根付いている。とくに20世紀になって、先住民の歴史問題が意識されるようになると、子供たちも小学校低学年から、建国以前の入植者たちの困難とそれを助けた先住民の逸話に基づく感謝祭の意義を学ぶようになった。
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