最初の感謝祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/12 04:04 UTC 版)
1621年遅くの秋の祭りは、後に「最初の感謝祭」として知られるようになったが、ピルグリムにとっては知るよしもないものだった。ピルグリムは感謝祭として知られる祭りは認識していたが、それは信徒の幸運のために、神を崇め感謝する敬虔な儀式だった。ピルグリムが感謝祭と呼んだ最初のものは1623年に行われたものだった。この時、新たな移民と物資が到着するという知らせが届いたことに反応したものだった。この出来事は恐らく7月に起こり、まる一日の祈りと礼拝、およびささやかな祝宴が行われた。 アメリカ合衆国ではこの出来事を記念して毎年11月末に、より適切な言葉「収穫祭」として祝われている。最初のお祭りは恐らく1621年10月早くに開催され、生き残ったピルグリム51名とマサソイトの一党90名と共に祝われた。この催しに関する3つの当時の資料が残っている。ウィリアム・ブラッドフォードによる「プリマス・プランテーションについて」(Of Plimoth Plantation)、エドワード・ウィンスローによる「モートの関係」(Mourt's Relation])、および植民地の書記官でブラッドフォードの甥だったナサニエル・モートンによる「ニューイングランドの記憶」(New England's Memorial)である。お祭りは3日間続き、入植者が購った多くの種類の水鳥、野生の七面鳥および魚と、インディアンが気前よく与えた5頭の鹿が饗宴に供された
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