アマチュア選手の動向
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「将棋のアマチュア棋戦」の記事における「アマチュア選手の動向」の解説
将棋は一般の人々(アマチュア)にも広く知られたゲームであるが、段級位制はアマチュアとプロでは異なる基準を採用しており、伝統的にはアマチュアの三段〜四段クラス(主要アマチュア棋戦の県代表争いレベル)がプロ予備軍(奨励会)の6級に相当するとされていた。ただし、最近はアマも最新の将棋情報を手に入れやすくなったこと、元奨励会員のアマチュア参加やプロアマの対局など、プロ、奨励会との交流が盛んになったこと、また通信対局が普及し、遠隔地にいる強豪者どうしの練習対局が簡単にできるようになったことなどにより、現在ではアマの最上級者(主要アマ棋戦優勝争いクラス)はプロの底辺(順位戦C級2組下位またはフリークラス)と同等に近い実力があるとされる。 過去にもアマチュアながらプロに匹敵する実力を持つ者が現れることがまれにあり、彼らの中には真剣師として賭け将棋を生業とする者もいた。花村元司は、真剣師として生計を立てたのち、1944年にプロ編入試験を受けて棋士となった。後に名人戦で大山康晴名人に挑戦するほどまでの実力だったが、タイトル奪取はならなかった。 また、1948年の第3期順位戦には、アマチュア枠が設けられ(第5期までで廃止)、1958年の第9期九段戦予選にも、アマチュア選手が招待された。順位戦(C級2組またはC級乙組)では勝ち越す者も出るなど、トップアマの実力は侮れないものがあった。しかし、1961年の第12期九段戦を最後に公式戦のアマチュア枠は廃止され、公の場でプロとアマチュアが対等に戦うことはなくなった。 1978年、非公式戦ながら『将棋世界』誌の企画で若手棋士とアマチュア選手の対局企画が実現。この時は棋士の全勝だったが、花村と同じく真剣師であった小池重明が飯野健二相手に初勝利を挙げた。小池はプロとのお好み対局で数々のプロを連破し、またアマ名人を2期連続で獲得するなど、実力はアマチュア界で頭1つ抜きん出ていた。その後、当時の大山康晴将棋連盟会長の計らいもあり、プロ入りを棋士総会の票決に掛けられたが、素行などが懸念材料となりプロ入りは否決された。プロ入りこそ実現しなかったが、死後、小池の生涯を扱ったTV番組や書籍が放送・出版されている。 かつてはアマチュアとプロとの対局は、新聞や雑誌の企画としてのお好み対局や、将棋教室やイベントの中で指導対局が行われたりする程度であったが、1988年の竜王戦で、プロ公式戦のアマチュア枠が復活した。現在では、アマチュア棋戦の成績優秀者が参加可能なプロ公式戦は複数存在している(竜王戦、叡王戦、棋王戦、朝日杯、銀河戦、新人王戦、YAMADAチャレンジ杯、加古川青流戦)。小林庸俊、天野高志、桐山隆、遠藤正樹、山田敦幹、吉澤大樹、石井豊など、先述の公式戦でプロに対して勝利するアマ強豪も複数現れ、2000年以降では加藤幸男、清水上徹といった大学棋界で実力を磨いた新しい世代のアマチュアが活躍している。近年では町道場や支部、職場で腕を磨いた強豪以外に、インターネット将棋からアマ強豪の仲間入りをした浅田拓史を代表とするアマも出始めている。 また、奨励会を退会した者がアマチュア選手として活躍する例も増えてきている。過去には元奨励会員がアマチュアの大会に出ることを好ましくないとする風潮もあったが、近年は下火になっている。加部康晴、桐山隆、秋山太郎、小牧毅、池田将、加來博洋、稲葉聡などは全国大会でも常連である。加來は赤旗名人戦優勝の資格で出場した2010年の第41期新人王戦で決勝に進出し、阿部健治郎相手の三番勝負に1勝2敗で優勝こそならなかったものの、史上初の公式棋戦でのアマチュアの準優勝を達成した。稲葉は2015年の第5期加古川青流戦で決勝に進出し、増田康宏相手の三番勝負を2勝1敗で制し、史上初の公式棋戦でのアマチュアの優勝を達成した。 瀬川晶司は奨励会を年齢制限で退会したが、アマチュア選手としてプロ棋戦に参加し、特に銀河戦においてめざましい活躍を残し、プロ相手に一時7割を超す勝率をあげた。2005年、瀬川はプロ編入を希望する嘆願書を日本将棋連盟に提出、特例として六番勝負の編入試験を経て、奨励会を退会した者としては初めてプロ入りが認められた。元の職場であったNECとはスポンサー契約を結んでおり、これも将棋界初のできごとである。瀬川のプロ編入を受け、翌2006年、将棋連盟はアマチュアおよび女流棋士のプロ(正棋士)への編入制度を正式に導入し、四段(順位戦はフリークラス)および奨励会三段リーグへの編入試験の要項を発表した。 瀬川と同じく奨励会を年齢制限で退会した今泉健司は、瀬川のプロ入り後に整備されたアマチュアからの奨励会およびプロへの編入試験制度を活用してプロ入りへの再挑戦を続けた。2006年にアマチュア竜王戦で優勝し、その資格で奨励会三段編入試験を受験して合格し、同制度による初の三段編入を果たしたが、規定となる三段リーグ2年4期の間に四段昇段を果たすことはできず、二度目の奨励会退会となった。その後もアマ主要大会で上位入賞を続けプロ公式戦に出場して勝利を重ね、2014年の朝日杯将棋オープン戦で、「対プロ棋士戦績で10勝かつ勝率6割5分以上」を達成し、プロ編入試験の受験資格を得ると受験を表明した。同年9月から実施された編入試験では四段のプロ棋士5人との五番勝負に3勝1敗と勝ち越し、制度化されたプロ編入試験(現・棋士編入試験)における第一号の合格者となった。その一方で加來や稲葉の様に編入試験の受験資格を得ながら行使(受験)しなかった者もいる。 折田翔吾も奨励会を年齢制限で退会した後、主要アマチュア棋戦での優勝こそなかったが、銀河戦に2期連続で出場しプロ相手に10勝2敗の好成績を上げて棋士編入試験の受験資格を得て受験した。2019年11月から実施された編入試験でプロ棋士との五番勝負に3勝1敗と勝ち越し合格した。折田は奨励会退会後、自らのオンライン将棋ゲームの対局や他者の棋譜の解説をインターネットの動画配信サービスで配信するYouTuberとして活躍しており、棋士編入試験の対局料50万円もクラウドファンディングによって募集し目標額の6倍弱の資金を集めることに成功するなど、2010年代後半に一般化したインターネットサービスを通してアマチュアとしての活動を盛んにアピールした。
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