アマチュア選手の動向とは? わかりやすく解説

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アマチュア選手の動向

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 18:57 UTC 版)

将棋のアマチュア棋戦」の記事における「アマチュア選手の動向」の解説

将棋一般の人々アマチュア)にも広く知られゲームであるが、段級位制アマチュアとプロでは異な基準採用しており、伝統的にアマチュア三段四段クラス(主要アマチュア棋戦の県代表争いレベル)がプロ予備軍奨励会)の6級相当するとされていた。ただし、最近はアマ最新将棋情報手に入れやすくなったこと、元奨励会員アマチュア参加やプロアマの対局など、プロ奨励会との交流盛んになったこと、また通信対局普及し遠隔地にいる強豪者どうしの練習対局簡単にできるようになったことなどにより、現在ではアマ最上級者(主要アマ棋戦優勝争いクラス)はプロ底辺順位戦C級2組下位またはフリークラス)と同等に近い実力があるとされる過去にもアマチュアながらプロ匹敵する実力を持つ者が現れることがまれにあり、彼らの中には真剣師として賭け将棋生業とする者もいた。花村元司は、真剣師として生計立てたのち、1944年プロ編入試験受けて棋士となった。後に名人戦大山康晴名人に挑戦するほどまでの実力だったが、タイトル奪取はならなかった。 また、1948年第3期順位戦には、アマチュア設けられ第5期までで廃止)、1958年第9期九段戦予選にも、アマチュア選手招待された。順位戦C級2組またはC級乙組)では勝ち越す者も出るなど、トップアマの実力侮れないものがあった。しかし、1961年第12期九段戦最後に公式戦アマチュア廃止され公の場プロアマチュア対等に戦うことはなくなった。 1978年非公式戦ながら『将棋世界』誌の企画若手棋士アマチュア選手対局企画実現。この時は棋士全勝だったが、花村同じく真剣師であった小池重明飯野健二相手に初勝利を挙げた小池プロとのお好み対局数々プロ連破し、またアマ名人2期連続獲得するなど、実力アマチュア界で頭1つ抜きん出ていた。その後当時大山康晴将棋連盟会長計らいもあり、プロ入り棋士総会票決掛けられたが、素行などが懸念材料となりプロ入り否決された。プロ入りこそ実現しなかったが、死後小池生涯扱ったTV番組書籍放送出版されている。 かつてはアマチュアとプロとの対局は、新聞や雑誌企画としてのお好み対局や、将棋教室イベントの中で指導対局が行われたりする程度であったが、1988年竜王戦で、プロ公式戦アマチュア復活した。現在では、アマチュア棋戦成績優秀者が参加可能なプロ公式戦複数存在している(竜王戦叡王戦棋王戦朝日杯銀河戦新人王戦YAMADAチャレンジ杯加古川青流戦)。小林庸俊、天野高志桐山隆遠藤正山田敦幹、吉澤大樹石井豊など、先述公式戦プロに対して勝利するアマ強豪複数現れ2000年以降では加藤幸男、清水上徹といった大学棋界実力磨いた新し世代アマチュア活躍している。近年では町道場支部職場で腕を磨いた強豪以外に、インターネット将棋からアマ強豪仲間入りをした浅田拓史を代表とするアマ出始めている。 また、奨励会退会した者がアマチュア選手として活躍する例も増えてきている。過去には元奨励会員アマチュア大会に出ることを好ましくないとする風潮もあったが、近年下火になっている加部康晴、桐山隆秋山太郎小牧毅池田将加來博洋、稲葉聡などは全国大会でも常連である。加來赤旗名人戦優勝資格出場した2010年の第41新人王戦決勝進出し阿部健治郎相手三番勝負に1勝2敗で優勝こそならなかったものの、史上初の公式棋戦でのアマチュア準優勝達成した稲葉2015年第5期加古川青流戦決勝進出し増田康宏相手三番勝負を2勝1敗で制し史上初の公式棋戦でのアマチュア優勝達成した瀬川晶司奨励会年齢制限退会したが、アマチュア選手としてプロ棋戦参加し、特に銀河戦においてめざましい活躍残しプロ相手一時7割を超す勝率をあげた。2005年瀬川プロ編入を希望する嘆願書日本将棋連盟提出特例として六番勝負編入試験経て奨励会退会した者としては初めプロ入り認められた。元の職場であったNECとはスポンサー契約結んでおり、これも将棋界初のできごとである。瀬川プロ編入を受け、翌2006年将棋連盟アマチュアおよび女流棋士プロ正棋士)への編入制度正式に導入し四段順位戦フリークラス)および奨励会三段リーグへの編入試験要項発表した瀬川同じく奨励会年齢制限退会した今泉健司は、瀬川プロ入り後に整備されアマチュアからの奨励会およびプロへ編入試験制度活用してプロ入りへの再挑戦続けた2006年アマチュア竜王戦優勝し、その資格奨励会三段編入試験受験して合格し、同制度による初の三段編入果たしたが、規定となる三段リーグ2年4期の間に四段昇段を果たすことはできず、二度目奨励会退会となったその後アマ主要大会上位入賞続けプロ公式戦出場して勝利を重ね2014年朝日杯将棋オープン戦で、「対プロ棋士戦績10勝かつ勝率6割5分以上」を達成しプロ編入試験受験資格を得ると受験表明した同年9月から実施され編入試験では四段プロ棋士5人との五番勝負に3勝1敗と勝ち越し制度化されたプロ編入試験(現・棋士編入試験)における第一号の合格者となった。その一方で加來稲葉様に編入試験受験資格を得ながら行使(受験)しなかった者もいる。 折田翔吾奨励会年齢制限退会した後、主要アマチュア棋戦での優勝こそなかったが、銀河戦2期連続出場しプロ相手10勝2敗の好成績上げて棋士編入試験受験資格得て受験した2019年11月から実施され編入試験プロ棋士との五番勝負に3勝1敗と勝ち越し合格した折田奨励会退会後、自らのオンライン将棋ゲーム対局他者棋譜解説インターネット動画配信サービス配信するYouTuberとして活躍しており、棋士編入試験対局料50万円クラウドファンディングによって募集し目標額の6倍弱の資金集めることに成功するなど、2010年代後半一般化したインターネットサービス通してアマチュアとして活動盛んにアピールした

※この「アマチュア選手の動向」の解説は、「将棋のアマチュア棋戦」の解説の一部です。
「アマチュア選手の動向」を含む「将棋のアマチュア棋戦」の記事については、「将棋のアマチュア棋戦」の概要を参照ください。

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