アマチュア落語家としての活動
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「樋口強」の記事における「アマチュア落語家としての活動」の解説
入院中に副作用の苦痛を落語のテープで紛らわせ、落語の魅力を再認識したことや、癌の危機を乗り越えた記念の意味で、2001年9月18日、初の落語独演会を開催。当初は公民館などで小規模に行う予定だったが、柳家喜多八の支持により上野の寄席・広小路亭で開催された。定員70人のところ、癌患者仲間とその家族たちなど、定員の倍以上の150人もの客が押し寄せ、予想外の好評を博した。また、演目の一つが医者を題材とした『代脈』であったことから、枕として樋口自身の病院体験を小咄風に話したところ、意外な好評を得た。 この好評を受け、翌2002年9月18日に第2回を開催。会の目的を、癌の苦しみと現在生きている喜びを患者たちと家族たちでを笑いを通じて共有すること、そして今まで自分を助けてくれた人々への恩返しと明確化し、前回は有料であった会費を無料とし、招待客を癌患者とその家族のみに限定した。また前回の広小路亭は少人数の上、畳敷きのために癌患者が長時間座るのが困難といった配慮から、深川江戸資料館の小劇場を会場とした。この第2回で初めて、前回に枕とした自身の病院体験を、『病院日記』と称した自身の創作落語に仕立て直し、演目とした。樋口にとっては初のオリジナル演目ではあったが、客を癌患者関係に限定したことが功を奏したと見られ、予想以上の好評であった。 やがてこの独演会は、深川江戸資料館を運営する東京都江東区の支援を受け、翌年以降も毎年9月に癌患者とその家族のみを招待し、都度、『病院日記』を内容を変えつつ披露するというスタイルが確立し、後に至っている。全国各地から観賞の申込みがあり、毎回キャンセル待ちが出るほどの人気を得ている。2007年10月ではイタリアのミラノで公演。2010年には患者たちに希望と勇気を与える活動として評価され、シチズン・オブ・ザ・イヤーを受賞した。
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