その他の日本のチーム、ドライバーとは? わかりやすく解説

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その他の日本のチーム、ドライバー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:14 UTC 版)

ル・マン24時間レース」の記事における「その他の日本のチーム、ドライバー」の解説

1986年から1990年まで高橋国光がドイツ・クレマーレーシングのポルシェ・962C参戦最高位1988年の9位。当時日本人最高位記録1987年には岡田秀樹ザウバーから参戦リタイア岡田88年から90年までクレマーレーシングポルシェ参戦最高位高橋国光組んだ88年で9位。 1988年米山二郎福山英朗ADAエンジニアリングADA03)から参戦し総合18位でC2クラス2位入賞している。片山右京クラージュ・コンペティション(クーガー・C22)で、初参リタイア1989年では、粕谷俊二クラージュ・コンペティションクーガー・C20B)から参戦し総合14位でC2クラス優勝果たしている。またFromAレーシングブルンジョイント参戦。レギュラードライバーの中谷明彦初出場この他池谷勝則がチーム・デイビーのポルシェ参戦15完走米山二郎クラージュクーガーC22で参戦リタイア1990年東名スポーツメンテナンスし、その後1992年全日本F3選手権チャンピオンとなるアンソニー・レイドらがドライブするジ・アルファレーシングのポルシェ・962C3位表彰台獲得するトラストポルシェ・962C初参戦、粕谷俊二ドライブ13位で完走する池谷勝則デイビーから参戦19完走1991年にはシフトメンテナンスするチーム・FEDCOのスパイスSE90C/DFR(長坂尚樹/見崎清志/横島久組)が12位で完走しカテゴリー1クラス優勝遂げる。トラスト2年連続参戦するが、残り1時間リタイアとなったまた、AOレーシング吉川とみ子女性3名(リン・セント・ジェームズデジレ・ウィルソンら)での出場目指しスパイスSE90C/DFRでエントリーするが、現地吉川にはライセンス発給されず、吉川参戦断念代役女性ドライバー参戦するが、47周でリタイヤに終わる。この他池谷勝則がチーム・デイビーのポルシェで、粕谷俊二がクラシック/TFRのスパイスエントリーしていたが、いずれも予選落ちに。 1992年には、粕谷俊二松田秀士がユーロレーシング(マシンローラT92/10ジャッド)から参戦し総合13位で完走また、原田淳・吉川とみ子嶋村健太らがチーム・ニッポン(登録名チェンバレン・エンジニアリング、マシンスパイスSE90C/DFR)として参戦したが、こちらはチェッカーをうけたもの周回数不足(160Lap)で非完走(NC)となり結果表のリタイアしたチームの一番上記載されている。 1993年には、コンラッドモータースポーツ(マシンポルシェ911カレラ)から原田淳が、クラージュ・コンペティションマシンクラージュC30)から吉川とみ子参戦したが、両方リタイア終わっている。 1994年は、チーム・ニッポン(登録名ADAエンジニアリングマシンポルシェ962GTI)が原田淳・吉川とみ子近藤真彦の3人で参戦したが、途中リタイア1995年には、1985年より参戦続けてきた関谷正徳が、日本人ドライバーとして初の総合優勝マクラーレン F1 GTR /チーム国際開発UKドライバー関谷正徳J.J.レートヤニック・ダルマス)を果たした1997年チーム郷マクラーレン F1 GTR LM参戦ドライバー中谷明彦土屋圭市ゲイリー・アイルズ決勝88リタイア1999年チーム郷BMW・V12 LM参戦ドライバーヒロ松下加藤寛規中谷明彦223リタイア2000年にはテレビ朝日チーム郷共同で、"テレビ朝日チーム龍(Dragon)"としてパノスLMP-1を2台エントリーさせている。当初LM-GT2クラスにクライスラー・ヴァイパーを2台投入した"チーム虎(Tiger)"として、二つクラス出場計画していたが、諸事情LMP-1クラスのみのエントリーとなっている。予定していたドライバーには高橋国光近藤真彦関谷正徳らが予定されル・マン経験者中心に布陣固めた「ドリームチーム」として期待されていた。この時ドライバーピットとの会話中継するなど新しい試みが行われたが、レース出場するエントラントでもあったため他チームピット取材しようとして拒否されるなどのトラブルもあった。またチームタイサンポルシェ911GT3がLM-GTクラス優勝達成している。 2001年チーム郷デンマークのデン・ブラ・エイビスとジョイント参戦マシン童夢・S101ドライバージョン・ニールセン加藤寛規キャスパー・エルガードリタイア2002年から2004年にかけてKONDO Racing横浜ゴムジョイントし、童夢・S101ル・マン参戦近藤真彦福田良片山右京加藤寛規らがステアリング握ったが、2003年総合13位に入ったのが唯一の完走2002年チーム郷アウディ・R8参戦ドライバー加藤寛規ヤニック・ダルマス荒聖治総合7位。 2003年チーム郷アウディ・R8参戦ドライバー荒聖治ヤン・マグヌッセンマルコ・ヴェルナー総合4位。 2004年にはチーム郷アウディ・R8日本プライベーターとしては初めての総合優勝果たした。同チームドライバー1人荒聖治は、日本人として2人目の総合優勝リナルド・カペッロトム・クリステンセンドライブJLOC日本ランボルギーニ・オーナーズ・クラブ)が、ランボルギーニワークスチームとして2006年レースに、桧井保孝らのドライブ参戦したものの完走には至らなかった。2007年にも参戦したフリー走行クラッシュし、結局1周でレース終えてしまっている。また2009年2010年にも参戦したリタイアに終わる。 2009年チーム郷ポルシェ・RSスパイダー参戦ドライバー荒聖治国本京佑サッシャ・マーセンリタイアその他に太田哲也1993年1996年まで、羽根幸浩1995年に、鈴木隆司1996年~1997年まで、それぞれプライベートチームからの出場果たしている。 東海大学において林義正研究室開発コース)でル・マン参戦のための車両研究開発されていた。2002年頃からル・マン参戦車両開発向けた先行実験車両開発され、その動向注目されていたが、2008年大会参戦する意向正式に発表され2月エントリー認められた。東海大学設計し山形YGK製作した産学協同開発エンジンを、クラージュ・オレカ製シャシー修正したものに搭載したマシン使用したが、学生メカニック作業慣れていないなどの要因からトラブル多発メカニックについてR&D SPORT支援仰いだものの、結果決勝185リタイア終わった東海大退官する関係から2012年に同プロジェクト終了したが、YGK共同新たなル・マン参戦プロジェクト立ち上げる方針である。 2016年にクリアウォーター・レーシングよりエントリーフェラーリ・458GT2)した澤圭太が、LM-GTEアマクラスのポールポジション獲得した2017年にMRレーシングよりエントリーフェラーリ・488GTE)した石川資章が、2018年2019年LM-GTEアマクラスで参戦している。 2021年には青木拓磨フランスのSRT41チームより特別枠出場マシンオレカ07ギブソンドライバー青木拓磨、スヌーシー・ベン・マッサ、ナイジェル・バリー)。334周、総合32位で完走している。 2021年星野敏率いるD’station racingLMGTE Amクラス藤井誠暢が操るアストンマーティン・ヴァンテージ参戦しクラス6位・総合33位で完走する2022年のFIA世界耐久選手権にも参戦中。

※この「その他の日本のチーム、ドライバー」の解説は、「ル・マン24時間レース」の解説の一部です。
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