その他の日本の航空魚雷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/07 16:40 UTC 版)
九二式魚雷(電池駆動の航空魚雷)は単なる試験的モデル以上のものではなかった。 1934年に艦政本部は、九三式酸素魚雷の航空魚雷型である、独自の九四式魚雷を機密裏に開発していた。しかし、この計画は放棄された。九四式魚雷は重くて取扱いがまったく困難だった。 大戦末期には、総重量が2トンの試製魚雷Mを開発していたが、これは未完成のまま終わった。横須賀空技廠は、1944年春から、4発の陸上攻撃機「連山」用に、重量2トンの巨大な航空魚雷を開発していた。その魚雷は「試製魚雷M」または略式に「2トン魚雷」と呼ばれた。この魚雷は九一式航空魚雷を巨大化したようなもので、直径 21インチ(53.3cm)、全長 23 ft 4-1/4 インチ(7.10m)、全重量は 2,070 kg、炸裂火薬量は 750 kg に達するとされた。 しかし、九一式航空魚雷開発チームのメンバーは、試製魚雷Mを九一式航空魚雷シリーズの一つとはみなしていなかった。この魚雷は日本海軍史上最大の航空魚雷になるはずだったが、雷撃を4発大型機で遠方から行うという戦術コンセプト自体がすでに時代にそぐわなくなっていたので、この魚雷は未完成のまま終わった。
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