『ねじ式』以降とは? わかりやすく解説

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『ねじ式』以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 22:57 UTC 版)

つげ義春」の記事における「『ねじ式』以降」の解説

1968年6月別冊つげ義春特集号』に描いた『ねじ式』養老渓谷に近い千葉県太海旅行した経験元になっている。つげ本人は「ラーメン屋屋根の上見た夢。原稿締め切り迫りヤケクソになって書いた」と語っているように、この作品テーマまとまっておらず、全て完璧な他作品(「ほんやら堂のべんさん」や「ゲンセンカン主人」)に比較し明らかに完成度は低い。7月号の「ゲンセンカン主人」は『沼』の反復(意識反省及ばない客観世界へ没入離脱)であり、「前世なかったら私たちはまるで、幽霊ではありませんか」というセリフ生み出したつげの創造的構想力はこの作品ピーク迎える。1968年6月頃には『もっきり屋の少女』を描き上げガロ8月号に発表した。この作品従来同様の完成度であるが、主人公旅人がチヨジとの別れ際にもらす「考えてみりゃあ もともと 考えることなんかなかったのだからね」というセリフが『沼』から始まった一連の創作終わりを告げている。これはつげが作品示そうしながら決して語らなかったこと(主観性内省対する生の現実単純な言葉優位)であり、そのことを「語ってしまってはもはや作品を描くことは出来ない。「奇跡2年間」は終わり、これ以降、つげの作品弛緩して別人のものとなる。そして生活の上では意識現実の生の統合不調となり、9月には精神衰弱苛まれ2, 3文通交わしただけの看護師女性と結婚するつもりで九州への蒸発決意したが、10日帰京。翌、1969年には状況劇場女優藤原マキ知り合うおりしも時代全共闘紛争のちょう前夜劇画ブーム手伝い大学生社会人漫画を読むようになった時代であり、そうした世相反映しアングラ芸術タッチ取り入れた『ねじ式』は、漫画初め表現領域超越した作品として絶賛され社会現象となり、後続作家たちにも絶大な影響与えることになった。この作品に関して多く精神分析解釈試みられたが、つげはそのいずれをも「全然当たっていない」と一笑に付している。つげは、1969年2月の『アサヒグラフ』でこの作品コメントし時間空間と全く関係のない世界―それは死の世界じゃないんだけど―それを自分のものにできたらと思っている。『ねじ式』はそうした恍惚と恐怖世界異空間世界いくらか出ていると思う」と述べている。 『ねじ式』に関して多く評論家詩人文化人などがそれぞれの立場から多く批評試みた詩人天沢退二郎は、「徹底したプライベートな視線貫かれ作品空間がつげ作品特徴だが、『ねじ式』ではその空間がさらに異様なものになっており、作者そのもののような主人公一人称)は自らを踏み外して異空間入っていき、もはや作者とは思えない主人公悪夢中にいる。その主人公とは“悪夢の中のわれわれ”なのだ。つげ作品を読むことは、夢を見ることなのだ」と述べ、つげ作品根源的コワサにふれ絶賛した石子順造は“存在論的反マンガ”と呼び自然と人間が同じ位相にあり、つげは日常ただなかにある奈落見ている。つげの漫画は狂猥な現代文明状況の中で生まれ死ぬしかないぼくらの生の痛み深くつながっている」とし、つげ作品を読むことは「恍惚とした恐怖体験をすること」だとした。白土三平作品唯物史観漫画として論議されたのに対し、つげ作品は「意識」「存在」「風景「時間」といった言葉盛んに論じられた。 当時の生活は、「毎日空白つらなりのようなもので、昼頃目覚め洗顔後、散歩出て本屋店先冷やかし喫茶店足を運び片隅暗がりポツン座りボーッとする間が持てないと思うと仕方なく漫画アイデア考えることもある。2時ころには窓を閉め切ったままの一人暮らしの薄暗い部屋戻り座った寝転んだりを繰り返し眠気が来るまでボケっとする。不眠症のため午前3時ころに睡眠薬を飲む。食事散歩ついでに食堂済ませ、あるいは喫茶店モーニングサービストースト我慢し、夜はパンインスタントラーメン作る。これが毎日繰り返される当時は「おそらく日本でいちばん寡作でしょう」と自称するほどで生活費確保ため水プロダクションの手伝いを月に1週間ほどし、「適当に食えるだけ取ればやめてしまう」生活ぶりであったまた、当時意識拒否する意識自分中にある」とし、次のように発言している。「ここにコップありますね。こういうものが時どき“ものがある”というふうに見えるんです。その時恍惚とした気持ちそうなんです。自分自身が<<もの>>になれたらといつも思っているんですよ」。つげは当時よく見た夢について、「山と澄み渡った空、鮮やかな天然色風景眼前広がり輝くほどに明るい。しかしその風景は何ひとつ動かず時間止まったようで、ぼく自身風景断絶しており、まるで客席から映画スクリーンを見るような関係にある。その風景は、ぼくを恍惚とさせ、同時にすごく恐怖させる」とも発言し睡眠薬常用するのはその“悪夢”を見るためでもあったという。 1970年調布市内に転居し藤原同居するうになるガロにおける最後作品となったやなぎ屋主人』では、劇画風のタッチ編み出し再度変化見せつけたが、予想外に巻き起こったつげブームにより印税収入入ったせいもあり、1970年頃からだんだん寡作になっていく。

※この「『ねじ式』以降」の解説は、「つげ義春」の解説の一部です。
「『ねじ式』以降」を含む「つげ義春」の記事については、「つげ義春」の概要を参照ください。

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