劇画ブームとは? わかりやすく解説

劇画ブーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 00:51 UTC 版)

劇画」の記事における「劇画ブーム」の解説

1965年昭和40年)、当時トップ漫画家であった手塚治虫いわゆるW3事件」で「週刊少年マガジン」の連載降板するという事件が起こった編集長内田勝手塚抜けた穴を埋めるべく、貸本劇画活躍していた劇画家に執筆依頼。これらの劇画読者の高い支持得て以降マガジン劇画路線推進していくことになる。 劇画人気見てとった他の出版社からも次々と劇画雑誌創刊される。1966年昭和41年創刊の「コミックmagazine」(芳文社)を皮切りに1967年昭和42年創刊の「週刊漫画アクション」(双葉社)と「ヤングコミック」(少年画報社)、1968年昭和43年創刊の「ビッグコミック」(小学館)、「プレイコミック」(秋田書店)などが挙げられる。それらの雑誌には、貸本から商業雑誌移行後もヒット飛ばしたさいとう・たかを佐藤まさあき、彼らのスタッフだった川崎のぼるや、南波健二小池一夫劇画調作風変化させた永島慎二白土三平つげ義春新世代梶原一騎宮谷一彦バロン吉元池上遼一上村一夫らが執筆し人気博した労働者階級若者がメインターゲットの読者であった劇画は、当時盛んであった学生運動熱狂同期し社会的なブーム巻き起こすことになる。貸本劇画誌を前身として1964年創刊された「ガロ」(青林堂)は全共闘世代大学生愛読であった1970年昭和45年3月31日よど号ハイジャック事件起こした赤軍派グループ宣言「われわれは明日のジョーである」は当時劇画若者対す影響力物語っている。

※この「劇画ブーム」の解説は、「劇画」の解説の一部です。
「劇画ブーム」を含む「劇画」の記事については、「劇画」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「劇画ブーム」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「劇画ブーム」の関連用語

劇画ブームのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



劇画ブームのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの劇画 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS