武蔵野市 歴史

武蔵野市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/28 01:53 UTC 版)

歴史

年表

前史

古来 武蔵国に在り現在の武蔵野市に当たる区域は多磨郡内の一部に属した。

  • 慶応4年67月1868年) - 吉祥寺西窪関前の4箇村に武蔵知県事が派遣される。
  • 明治2年(1869年) - 4箇村が品川県の管下に置かれる。
  • 明治4年(1871年) - 吉祥寺村と西窪村は東京府に、関前村と境村は入間県に編入。
  • 明治5年(1872年) - 4箇村が神奈川県に編入される。
  • 1889年(明治22年)
    • 4月1日 - 4箇村と井口新田飛地(現在の境浄水場付近[15])が一体となり、武蔵野村が成立する。神奈川県北多摩郡武蔵野村。
    • 初代村長に三井謙太郎が就任。
    • 4月11日 - 甲武鉄道の新宿駅 - 立川駅間開通と同時に境駅(現在の武蔵境駅)が開業。
    • 12月30日 - 甲武鉄道の吉祥寺駅が開業。
  • 1893年(明治26年) - 東京府の管下に入る。東京府北多摩郡武蔵野村。
  • 1898年(明治31年) - 池田八右衛門が武蔵野村長に就任。
  • 1899年(明治32年) - 井野久太郎が武蔵野村長に就任。
  • 1900年(明治33年) - 秋本喜七が武蔵野村長に就任。
  • 1913年(大正2年) - 高橋亀三郎が武蔵野村長に就任。
  • 1921年(大正10年) - 秋本録之助が武蔵野村長に就任。
  • 1928年(昭和3年) - 町制施行。東京府北多摩郡武蔵野町
  • 1934年(昭和9年) - 帝都電鉄(現・京王電鉄井の頭線)吉祥寺駅が開業。
  • 1939年(昭和14年) - 秋本敏男が武蔵野町長に就任。
  • 1941年(昭和16年) - 井野米次郎が武蔵野町長に就任。
  • 1946年(昭和21年) - 町長の井野米次郎が死去。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 荒井源吉が武蔵野町長に就任。

武蔵野市小史

航空写真に見る武蔵野市。上方に見えるのが武蔵野競技場と東京グリーンパーク球場(1956年撮影)
  • 1947年(昭和22年)11月3日 - 武蔵野市市制施行。人口約63,000人。荒井源吉が初代市長に就任。初の市議会開会。
  • 1948年(昭和23年)
    • 2月 - 学校給食開始。小学校のみであり、中学校は未だに実施されていない。
    • 4月 - ごみの収集開始。
    • 6月 - 市報創刊号発行。
  • 1949年(昭和24年) - 市営運動場を開設。
  • 1950年(昭和25年)10月 - 屎尿のくみ取り開始。
  • 1951年(昭和26年) - 東京グリーンパーク球場が完成。
  • 1952年(昭和27年) - 水道下水道事業着工。武蔵野市教育委員会発足。
  • 1953年(昭和28年)6月 - 市営プール開設。
  • 1954年(昭和29年)
  • 1955年(昭和30年) - 特殊学級開設(一小二小大野田小)。ふじみ病棟(伝染病棟:武蔵野赤十字病院内)完成。三鷹市との合併案審議の市議会が開催され、市議会は可決したが、三鷹市議会が1票差で否決して合併は実現しなかった[16]
  • 1956年(昭和31年) - 吉祥寺ポンプ場完成(下水)。東京グリーンパーク球場が解体。
  • 1957年(昭和32年)4月 - 人口が10万人を越える。
  • 1958年(昭和33年)
    • 1月 - 緑町公団住宅完成。
    • 9月 - 台風22号(狩野川台風)による水害(浸水730戸)。
  • 1959年(昭和34年) - 第二浄水場完成、給水開始。桜堤公団住宅が完成。
  • 1960年(昭和35年) - 成蹊通り完成。
  • 1961年(昭和36年) - 武蔵境駅南口開設。国民年金制度施行。
  • 1962年(昭和37年) - 都市計画道路中町新道完成。全市域の町名整理施行。「むさしの市民の歌」制定。
  • 1963年(昭和38年)
    • 5月 - 後藤喜八郎が市長に就任。
    • 6月 - 学童保育開始。
    • 7月 - 市立図書館開館(鉄筋化)。
  • 1964年(昭和39年)
  • 1966年(昭和41年)
    • 6月 - 市営幼児プールが完成。
    • 7月 - 福祉会館完成。
  • 1967年(昭和42年) - 全国初の児童扶養手当制度開始。学校給食共同調理場(現・桜堤共同調理場)事業開始。富士高原学園が完成。
  • 1968年(昭和43年) - 市営西久保住宅が完成。武蔵野市開発公社が設立。10月、武蔵野市民会館開館。
  • 1969年(昭和44年)
  • 1970年(昭和45年) - 「公害排除都市」宣言。
  • 1971年(昭和46年) - 吉祥寺大通りが開通。
    • 9月 - 武蔵野市基本構想・長期計画(昭和46 - 55年度)を策定。
    • 10月 - 宅地開発等に関する指導要綱制定(マンション規制)。
    • 11月 - 吉祥寺FFビルB棟(伊勢丹吉祥寺店)オープン(翌年A棟がオープン)。
  • 1972年(昭和47年) - 富山県利賀村と姉妹都市盟約(現南砺市と友好都市)。市営関前住宅完成。
    • 7-8月 - 第1回むさしのジャンボリー実施(静岡県立朝霧野外活動センターキャンプ場)。
  • 1973年(昭和48年)
    • 1月 - 米軍施設グリーンパークが日本に返還される。
    • 4月 - 「武蔵野市民緑の憲章」制定。
    • 5月 - 障害児学級(べこのこ学級、いぶき学級)開設。
  • 1974年(昭和49年) - 武蔵野市土地開発公社が設立。
  • 1975年(昭和50年)2月 - グリーンパーク跡地を公園にする都市計画決定。
  • 1976年(昭和51年)7月 - 市立コミュニティセンター条例が施行される。境南コミセンが開館。
  • 1977年(昭和52年)
    • 8月 - けやき橋通り立体交差完成。
    • 11月 - 吉祥寺大通り全線開通。
  • 1979年(昭和54年)
    • 3月 - 全市立小中学校校舎の鉄筋化完成。
    • 4月 - 武蔵境駅南口駅前広場が完成。
    • 5月 - 藤元政信が市長に就任。
  • 1980年(昭和55年)8月 - 武蔵野市役所新庁舎が完成。
  • 1981年(昭和56年) - 第二期基本構想・長期計画(昭和56 - 67年度)を策定。
  • 1982年(昭和57年) - 「非核都市」宣言。西部図書館開館。武蔵野市少年自然の村(現武蔵野市自然の村)開設(長野県川上村)。
  • 1983年(昭和58年) - 武蔵野市文化事業団発足。
    • 5月 - 土屋正忠が市長に就任。土屋正忠は、市職員の高額退職金を是正した[17]
  • 1984年(昭和59年) - 武蔵野芸能劇場、市民文化会館が開館。土屋正忠は、文化事業団を設立し、武蔵野市の文化行政の基盤を整備した[17]。クリーンセンターが稼動。
  • 1986年(昭和61年)8月 - 玉川上水清流が復活する。
  • 1987年(昭和62年)年10月 - 「ひとり暮らしや心身に障害のある高齢者のデイケア施設」として北町高齢者センターと「全市民が安い費用で健康チェックができる保健センター」を開設した。これらの施設は、市民に待ち望まれていた。また、この当時、武蔵野市は、財政力指数トップクラスとなっていた[17]。吉祥寺図書館が開館。
  • 1988年(昭和63年)
    • 3月 - 吉祥寺駅北口駅前広場が完成。この広場は、初代市長の荒井源吉が取り組んで以来の懸案であった[17]
    • 9月 - 第1回国際オルガンコンクール開催。
  • 1989年(平成元年)
  • 1990年(平成2年) - 吉祥寺・武蔵境市政センター設置。
  • 1991年(平成3年) - 中央市政センターを設置する。
    • 10月 - 武蔵野市は、「武蔵境駅南北自由通路」を開通。「駅周辺の整備」を進めた[17]
  • 1992年(平成4年) - 子ども協会を設立。新しい子育て支援施設「0123吉祥寺」を開設[17]
    • 10月 - 学校施設開放条例を制定し、学校を地域に開かれた教育施設と位置付けた[17]
  • 1993年(平成5年) - 第三期基本構想・長期計画(平成5 - 16年度)を策定。
    • 4月 - 第1回武蔵野桜まつり開催(武蔵野市民公園)。
    • 6月 - 「社会福祉法人が運営する障害者総合センター」を設立。「デイサービスや社会活動センターなどの機能を持つ高齢者総合センター」を開設[17]
  • 1994年(平成6年) - 自然との共生に配慮した関前公園を開園[17]
  • 1995年(平成7年)
    • 3月 - 千川小学校の新校舎が落成。この新校舎は、未来を見据えた設計がされている[17]
    • 3月28日 - エフエムむさしの(むさしのFM、78.2 MHz)開局。
    • 4月 - 新・中央図書館が開館[17]
    • 6月 - 新自転車条例を制定。自転車の放置禁止区域の指定などを定めた[17]
    • 11月 - コミュニティバス「ムーバス」の運行が開始された。ムーバスは、ワンコインのコミュニティバスとして運行された[17]
  • 1996年(平成8年)
    • 1月、菅直人が厚生大臣に就任した後、厚生省から「国民に2兆2000億円の負担を求める介護保険制度」案が提示された。これを受け、武蔵野市は対策チームを結成。市長の土屋正忠は、学者や福祉施設の経営者、民生委員に協力をお願いし、懇談会を発足させる[18]
    • 6月 - 桜堤ケアハウスが開設。この施設は、高齢者も学生も利用できる施設である[17]
    • 7月 - 特別養護老人ホームゆとりえを開設。この老人ホームは、個室中心で市の社会福祉法人の運営する[17]武蔵野三鷹ケーブルテレビ開局。
    • 9月 - 武蔵境駅北口再開発ビル「スイング」オープン[17]。全国市長会に市長が出席し、この場において「国民に2兆2000億円の負担を求める介護保険制度」案について議論がされた。市長の土屋正忠は、この介護保険制度案の是正を求める提案を行った[19]
  • 1997年(平成9年) - 『むさしのリメイク - 武蔵野市緑の基本計画』策定。この計画は、緑被率の回復をめざす緑の基本計画である[17]
    • 9月 -市長の土屋正忠は、96年に「厚生省から出された介護保険制度案の問題点」を指摘したブックレットを、全国の市町村長や都知事、国会議員に送った。全国の市長の呼びかけで、慎重な審議が要請された。12月、介護保険制度案は、修正された上で可決されたという[20]
  • 1999年(平成11年)
    • 1月 - 市長の土屋正忠は、在宅介護サービスの充実を図るため、「テンミリオンハウス構想」を提案。「使われていない市の所有地」や「寄付された建物」を活用し、福祉施設をつくる計画を立案。土屋正忠は「高齢者が誰でも歩いて行ける距離」に福祉施設をつくることを考えていた[21]。テンミリオンハウスの第1号(川路さんち)を開設[17]
    • 3月 - JR中央本線(三鷹駅~立川駅間)連続立体交差の工事が着工[22]
    • 10月 - 市環境方針を策定[17]
  • 2000年(平成12年)
    • 3月 - 市役所がISO14001認証を取得。子育て支援に関する施策を円滑に進めるために、地域児童育成基本計画を策定[17]
    • 7月 - むさしのみたか市民テレビ局放送配信開始
    • 10月 - レモンキャブの運行を開始。レモンキャブは、高齢者や障害者の移送サービスである[17]
  • 2001年(平成13年) - 仙川緑地に清流復活。武蔵野三鷹ケーブルテレビコミュニティーチャンネルでの放送開始。
    • 5月 - 子育て支援施設「0123はらっぱ」を開設[17]
    • 6月 - 商工会館を改築[17]
    • 10月 - アンテナショップ「麦わら帽子」オープン[23]
    • 11月 - テンミリオンハウスあおばを開設[17]
防災安全センター(市役所西棟)
  • 2002年(平成14年)
    • 2月 - 武蔵野市立吉祥寺美術館オープン[17]
    • 10月 - 「武蔵野市生活安全条例」、「武蔵野市つきまとい勧誘行為の防止及び路上宣伝行為等の適正化に関する条例」が施行される[17]
  • 2003年(平成15年) - 武蔵野三鷹地区保健衛生組合(武三保)が解散。
    • 4月 - 古瀬公園内に「松露庵」オープン。
  • 2004年(平成16年) - 吉祥寺駅周辺を路上禁煙地区に指定。家庭ごみの有料化・戸別収集が開始される。第四期基本構想・長期計画(平成17 - 26年度)を策定。
  • 2005年(平成17年) - 吉祥寺シアターオープン。三鷹駅北口、武蔵境駅周辺を路上禁煙地区に指定。
  • 2007年(平成19年)
    • 5月 - 市役所西棟増築完成、防災安全センターが開設。
    • 11月3日 - 市制施行60周年記念式典が執り行われる。
  • 2009年(平成21年)
  • 2011年 (平成23年)
  • 2017年(平成29年)
  • 2023年(令和5年)



  1. ^ 田村和寿(1977)「武蔵野市におけるコミュニティづくり―市民参加によるその経緯」『地方自治』第352号,pp.64-72
  2. ^ 浅野平八 (2017) /書誌『公民館はだれのもの?住民の学びを通して自治を築く公共空間』第六部 公民館をめぐる動向/日本公民館学会年報 / 14 巻
  3. ^ 金 今善(2014)自治体の紛争管理に関する政治・行政学的考察―杉並区と武蔵野市の一般廃棄物処理施設事例研究:社会技術研究論文集 11 巻 p. 55-69
  4. ^ 革新自治体ルポ--東京都・武蔵野市--豊かすぎる文教都市のジレンマ:月刊自由民主. 1975年2月号(3)(229) 自由民主党 編
  5. ^ 「富裕度」は浦安と武蔵野が5連覇 部門別「住みよさランキング2013」(下)加藤 千明 : 東洋経済 『CSR企業総覧』『米国会社四季報』編集部
  6. ^ 羽貝正美[他] (八王子市, 2006) 都市政策研究会議活動報告:まちづくり研究はちおうじ. (3)
  7. ^ 木下 剛(1979)ゴミ処理問題と住民意識(武蔵野市) (現代地方自治<総合特集シリーズ-8->) -- (苦悩する自治体(現地記者レポート))法学セミナ-増刊 総合特集シリーズ (8), p136-137,
  8. ^ 鈴木 沙雄(1972)武蔵野市 小市民的革新戦略は可能か--第三期後藤市政と住民意識の構造 (革新自治体を診断する(特集)) 市民 (7), 68-76,
  9. ^ 土屋正忠『介護保険をどうする 市長からの「改革」提言』日本経済新聞出版、1999年、165-166頁。ISBN 978-4-532-16322-8 
  10. ^ 土屋正忠『介護保険をどうする 市長からの「改革」提言』日本経済新聞出版、1999年、167-168頁。ISBN 978-4-532-16322-8 
  11. ^ 村田 晶子(2004)「子育て支援」政策の問題性-育児期の女性にとっての意味-:早稲田大学大学院文学研究科紀要.50 第1分冊, 哲学東洋哲学心理学社会学教育学
  12. ^ 谷口 聡(2009)わが国におけるリバースモーゲージの展開 産業研究(高崎経済大学附属研究所紀要)第45巻第1号
  13. ^ 西澤 俊雄(2014)各国のリバースモーゲージの歴史と制度的発展 中央大学経済研究所年報 第45号 pp.365-384
  14. ^ 我が国の本格的なリバース・モーゲージの普及に向けて
  15. ^ 季刊むさしの ナンバー114 2016年春号「武蔵野ヒストリー ルーツを探る 関前と境」”. 武蔵野市. 2021年8月6日閲覧。
  16. ^ [1][リンク切れ]
  17. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 武蔵野市HP むさしの百年物語エピローグ そして未来へ(1983~2002)
  18. ^ 土屋正忠『介護保険をどうする 市長からの「改革」提言』日本経済新聞出版、1999年、87-96頁。ISBN 978-4-532-16322-8 
  19. ^ 土屋正忠『介護保険をどうする 市長からの「改革」提言』日本経済新聞出版、1999年、96頁。ISBN 978-4-532-16322-8 
  20. ^ 土屋正忠『介護保険をどうする 市長からの「改革」提言』日本経済新聞出版、1999年、106頁。ISBN 978-4-532-16322-8 
  21. ^ 土屋正忠『介護保険をどうする 市長からの「改革」提言』日本経済新聞出版、1999年、174-175頁。ISBN 978-4-532-16322-8 
  22. ^ 東京都都市整備局HP JR中央本線(三鷹駅~立川駅間)他連続立体交差事業
  23. ^ 武蔵野市HP むさしのキッズページ アンテナショップ 麦わら帽子(ぼうし)
  24. ^ 東日本大震災・写真特集”. 2019年3月12日閲覧。
  25. ^ 東京都編集『東京都の昼間人口2005』平成20年発行146 - 147ページ。国勢調査では年齢不詳のものが東京都だけで16万人いる。上のグラフには年齢不詳のものを含み、昼夜間人口には年齢不詳の人物は含まれていないので、双方の値は一致しない。
  26. ^ a b 武蔵野市役所. “休日・夜間の医療機関|武蔵野市公式ホームページ”. 武蔵野市公式ホームページ. 2020年9月20日閲覧。
  27. ^ 東京都における救急医療体制”. 東京都福祉保健局. 2020年9月20日閲覧。
  28. ^ 救急告示医療機関一覧(令和2年8月1日現在)”. 東京都福祉保健局. 2020年9月20日閲覧。
  29. ^ 東京都における救急医療体制(平成31年4月1日現在)”. 東京都福祉保健局. 2020年9月20日閲覧。
  30. ^ 【署名と保存会への入会】 旧赤星鉄馬邸、現在ナミュール・ノートルダム修道女会 見学会 | MM- Meet むさしの” (2019年11月28日). 2020年7月4日閲覧。
  31. ^ 東京)実業家・赤星鉄馬の旧邸を取得へ 武蔵野市:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2020年7月4日閲覧。
  32. ^ 旧赤星鉄馬邸、保存へ 武蔵野市が寄贈受け、敷地は公園に レーモンド設計の昭和初期建築 /東京”. 毎日新聞. 2020年7月4日閲覧。
  33. ^ 第3次武蔵野市市民交通計画”. 武蔵野市. 2017年1月9日閲覧。
  34. ^ 国内交流事業”. 武蔵野市. 2016年7月20日閲覧。
  35. ^ 国内友好都市紹介”. 武蔵野市. 2016年7月20日閲覧。
  36. ^ a b 交流都市トピックス 東京都武蔵野市との交流について”. 酒田市. 2016年7月20日閲覧。
  37. ^ 市長定例記者会見 平成23年6月27日”. 安曇野市. 2016年7月20日閲覧。
  38. ^ a b 武蔵野市交流市町村協議会”. 武蔵野市. 2016年7月20日閲覧。
  39. ^ 麦わら帽子ホーム”. 麦わら帽子. 2016年7月20日閲覧。
  40. ^ a b 富山県 南砺市”. 武蔵野市. 2016年7月20日閲覧。
  41. ^ a b 東京都武蔵野市”. 南砺市友好交流協会. 2016年7月20日閲覧。
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  56. ^ アメリカ合衆国テキサス州ラボック市について”. 武蔵野市. 2016年7月20日閲覧。
  57. ^ a b 忠清北道忠州市、ソウル特別市江東区について”. 武蔵野市. 2016年7月20日閲覧。
  58. ^ 日本语-月坛中学”. 月坛中学. 2016年7月20日閲覧。
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  62. ^ 日本武蔵野センター”. 武蔵野市. 2016年7月20日閲覧。
  63. ^ ロシア連邦ハバロフスク市との青少年交流事業”. 武蔵野市. 2016年7月20日閲覧。
  64. ^ 「八丁歓楽街に乗り込む」『日本経済新聞』昭和26年7月12日 3面






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